2025年度 報恩講法要のご案内

いつも大変お世話になっております。

善光寺副住職でございます。

今回は、11月14日(金)に善光寺にて執り行う「報恩講」という行事のご案内をさせて頂きます。

■ 日時:2025年11月14日(金)10:00~12:00

■ 会場:善光寺本堂

■ 内容:

1. 報恩講法要

2. 特別法話 講師:山田敎尚  師 (三重県津市存仁寺)

※昨年は息子様にお越し頂きましたが今年度は例年通りお父様にお越し頂きます。

■ その他:

– 法要後、御斎(おとき)は持ち帰りとさせて頂きます。

– 駐車場は可能な限り第二駐車場、第三駐車場をご利用ください。

-どなたでもご自由にお参り頂けます。

 

「報恩講」という行事は、宗祖・親鸞聖人の遺徳を偲ぶ、一年最も大切な法要です。

法要は他のお寺様もお呼びしご一緒に正信偈のお勤めさせて頂きます。

是非、ご参拝頂きました皆様と共に、正信偈のお勤めをさせて頂けますと幸いです。

また、今回ご法話を賜るご講師につきまして補足させていただきます。

昨年は山田 智敬師にお越しいただきましたが、

本年は例年通り、お父様である山田 敎尚師にご出向いただき、ご法話を賜ります。

山田 敎尚師は、宗派の中でも全国的に非常に有名な布教使の方です。

仏さまの教えをとてもわかりやすく、 そして心に響くようにお話しくださいます。

こうしたご講師のご法話を賜る機会はそう多くはございませんので、
ぜひご都合のつく方はお参り頂けますと幸いです。

※参考までに、別院さんでのご法話の動画を添付させて頂きます。

ご質問やご不明な点がございましたら、いつでもお気軽にお問い合わせください。

皆様のご参拝を心よりお待ち申し上げております。

合掌

善光寺

副住職コラム⑤〜友引の日に葬儀を避けた方が良いのか〜

「友引の日に葬儀は避けた方が良いでしょうか?」

このご相談をいただくことは以前からありましたが、今年の4月以降、特に増えております。

この背景には、八事斎場の改装工事があります。
名古屋市には本来「八事斎場」と「第二火葬場」の二つの火葬場がありますが、現在は八事斎場が工事のため閉鎖中です。


そのため現在、第二火葬場に負担が集中し、火葬場全体が大変混み合っています。

これは完全に私の予想ですが、
冬場など亡くなられる方が増える時期には、一週間程度の待ちが発生するのではないかと思います。

こうした状況の中で、火葬場の都合上、「友引の日でも葬儀を行わざるを得ない」という現実があります。

こうした背景があり、「友引の日に葬儀をしてもよいのか」というご質問が、改めて多く寄せられているのだと思います。

では、本当に友引の日に葬儀をしてはいけないのでしょうか?


六曜と仏教は関係がない

まず大切なことは、六曜(大安・仏滅・友引など)は、仏教とはまったく関係がない暦注であるということです。
六曜の起源は中国にあり、日本には江戸時代以降に広まりました。



仏教の経典や教えの中には「六曜」に関する記述は一切なく、浄土真宗をはじめとする仏教各宗派の立場から見ても、六曜は信仰の根拠にはなりません。


「友引=友を引く」の誤解

「友引の日に葬儀をすると、友をあの世へ引き込んでしまう」という言い伝えがあります。
しかし、これはあくまで俗信であり、根拠のない迷信です。

友引本来の意味は「勝負が引き分ける」という暦の吉凶判断にすぎず、「友を引く」といった死に関する意味合いは後世のこじつけです。


私、副住職の考え

浄土真宗の僧侶としての立場から申しますと、葬儀は「亡き方をご縁として仏さまの教えをいただく大切な場」です。
六曜に左右される必要はなく、ご家族の都合やご縁を優先して執り行うことが大切です。

しかし、私の個人的な意見としては、どうしても六曜を気にしてしまうのは人間の性です。

例えば、結婚式を挙げるなら大安にやりたい人が多いです。
好き好んで仏滅の日に結婚式を進んで挙げる人は基本的にいません。

人間というのは、そうした迷信をどうしても気にしてしまう生き物だと思います

そして、浄土真宗の宗祖、親鸞聖人はそうした迷信に流されてしまう、私たち人間の弱さを以下の言葉を残して嘆いています。

「かなしきかなや道俗の良時吉日えらばしめ天神地祇をあがめつつト占祭祀つとめとす」
『正像末和讃』『真宗聖典』509頁

しかし、この言葉をよく読み解くと、「迷信に流されてはいけない、六曜を気にしてはいけない」とは一言も書かれていません。

そうではなく、そうした私たち人間の生まれ持った弱さを嘆いておられる言葉です。

実際に親鸞聖人は私たちの人間の弱さをよくわかっていたのではないでしょうか。

以上を踏まえて、私の結論はこうです。


「友引に葬儀をしてはいけないという仏教の教えはありません。しかし同時に、『六曜を気にしてはいけない』という教えもありません。親鸞聖人は、人が迷信を気にしてしまう弱さを受けとめてくださっています。ですから、どうしても気になる方は友引を避ければよいし、気になさらないのであれば友引に葬儀を行ってもまったく問題はありません。」


まとめ

友引の日に葬儀をしてはいけないという仏教上の理由はありません。
六曜は仏教とは関係ありません。

しかし同時に、人はどうしても迷信を気にしてしまう生き物です。
親鸞聖人もまた、その弱さをよく理解されていました。

ですから大切なのは、無理に「気にするな」と自分を押さえつけることではなく、
「どうしても気になる方は友引を避ける」
「気にされない方は友引に行っても差し支えない」

――その柔らかさで良いのだと思います。

葬儀は、六曜に左右されるものではなく、亡き方をご縁として仏さまの教えをいただく大切な場です。
迷信に振り回されすぎず、安心してご家族のご都合に合わせてご相談ください。


※もし「こんなテーマで取り上げてほしい」「この疑問について聞いてみたい」といったリクエストがありましたら、ぜひお気軽にお寄せください。
皆さまの声を参考にしながら、少しでも安心や学びにつながる記事をお届けしてまいります。


最後までお読み頂きありがとうございました。
また今後ともよろしくお願い致します。

善光寺 副住職

【御礼】2025年度盂蘭盆会(お盆の法要)が無事満堂にて勤まりました

お世話になっております。
善光寺副住職でございます。

暑い日が続いておりますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

先日、8月12日 8月13日に善光寺本堂にて盂蘭盆会の法要が門信徒の皆様のお力添えによって無事に勤まりました。

ご参拝頂きました門信徒の皆様におかれましては心より御礼申し上げます。


本年のお盆法要は、酷暑の中にもかかわらず、例年を上回るほどのご参列を賜りました。



今年も多くの皆さまと一緒に、ご先祖さまを偲び、お念仏をお称えできましたこと、心より感謝申し上げます。
暑い中にもかかわらずお参りくださった門信徒の皆様に、住職をはじめ寺内一同、感謝の思いでいっぱいです。

本年は本堂が満員となり、皆さまには大変暑い思いをさせてしまったことかと思います。
来年以降は、大型扇風機の導入や法要を二部制にするなどの工夫をしながら、少しでも皆様が快適にお参りいただけますよう準備してまいります。

法要のひとときは、ご先祖さまや大切な方を想いながら、皆さまと心を寄せ合う時間となりました。阿弥陀さまのお慈悲のもと、つながりを感じられる場となったことが何よりの喜びです。

これからも、善光寺が皆さまにとって安心してお参りいただけるお寺でありたいと願っております。

皆様におかれましてはどうぞこれからもお気軽にお立ち寄りいただき、お念仏のご縁を共にあたためていきましょう。

まだまだ暑さが続きます。どうぞお体を大切にお過ごしください。

合掌

善光寺副住職

春の永代経法要が無事に勤まりました

お世話になっております。

善光寺副住職でございます。

先日、4月14日に永代経法要がお陰さまで無事勤まりました。

善光寺門信徒の皆さま、ご参詣いただきました皆さま、この度は誠にありがとうございました。


今年も皆様のおかげでこの大切な法要を無事務めることができました。

皆様に心よりお礼申し上げます。

今年の永代経法要も昨年に引き続き、住職と私副住職の二人でご法話をさせて頂きました。


私は親鸞聖人の主著『顕浄土真実教行証文類』の最後に引用された、道綽(どうしゃく)(562~645)が著した『安楽集』の言葉


「前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え。」

このお言葉をテーマにお話しさせて頂きました。


私達が現在、浄土真宗のみ教えを頂いているのは自分の父母、祖父祖父母の姿を受け継いできたからだと思います。


前に生まれた方々に導かれて今私達は浄土真宗という800年以上続いているこの教えに出会えることができました。


そして、後に生まれた者としていつまでも父母、祖父母から受け継いできたものを心に残し大切にしていくべきだと思います。

そして、この浄土真宗の御教えを私達の代で終わらせるのではなく、次世代へと繋いで行かなくてはならない、姿や形や行動で後の世代を導いて行かなくてはならないというお話をしました。

私自身、善光寺副住職としてこれからも日々の法務を通して、門信徒の皆様と共にこの尊いみ教えを味わい、次の世代へと確かに伝えていけるよう精進してまいります。



お勤めやご縁の中で、先人方のご恩を忘れることなく、次の世代にしっかりとみ教えを手渡していく責任を改めて感じております。

現代は、価値観の多様化や暮らしの変化が著しい時代ではありますが、そうした時代だからこそ、揺るがぬ拠り所としての浄土真宗のみ教えが一層大切になってくると感じております。

どうか今後とも、皆様と共にこのご縁を大切にし、阿弥陀如来の本願に照らされた日々を歩んでまいりたいと思っております。

最後になりますが、永代経法要のご参詣、ご協力をいただきました全ての皆様に、重ねて感謝申し上げます。

合掌

善光寺副住職

【行事のお知らせ】春季永代教のご案内

善光寺門信徒の皆様へ

お世話になっております。
善光寺副住職でございます。

春の訪れとともに、今年も春季永代経法要を開催いたします。

永代教という行事は、私たちのご先祖様、代々続いて伝えてきてた浄土真宗の教えを聴く法要です。

浄土真宗の開祖、親鸞聖人を初め、蓮如聖人、七高僧の方々など、多くの方のおかげで、今の私たちが浄土真宗の教えに出会えました。

この代々伝わってきた浄土真宗の教えが、また未来へと繋がっていくように心込めて法要を執り行います。

詳細は以下の画像をご確認ください

4月14日(月)午前10時から善光寺本堂にて法要を執り行います。

今年も昨年と同じように、住職と私副住職でお勤めを行い、ご法話をさせて頂きます。

昨年の様子は以下の記事をご覧ください。

今年もお気持ちを込めて法要を執り行います。

ご都合の合う方は是非ご参拝いただけましたら幸いです。

皆様のご参拝を心よりお待ちしております。

善光寺 副住職

報恩講にお参り頂きました皆様へ

皆様、大変お世話になっております。
善光寺副住職でございます😊

先日 11月14日(木)に善光寺にて報恩講のお勤めをさせて頂きました。

※報恩講のご案内の記事は以下よりご覧ください


いつもご協力して頂いている皆様のおかげで無事に今年も報恩講を執り行う事ができました。

ご参列いただきました皆様におかれましては心よりお礼申し上げます。

今年も多くの方にご参拝いただき、ありがたいご縁となりました。

今年は、三重県より山田智敬先生にご法話をいただきました。
(毎年ご法話頂いている山田 敎尚先生のご子息様です)

先生は今回、初めて善光寺にお越し頂きました。

先生のやさしく、そして温かな語り口でもって、阿弥陀さまのお話をお聞かせいただきました。

ご法話のテーマは

「帰命無量寿如来 南無不可思議光」
「無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無したてまつる」

正信偈の冒頭であり、そして「正信偈」全体を表すと言っても過言ではないこの二句についてありがたく、そして大変わかりやすくお話を頂きました。

※完全に余談ですが、山田先生は私副住職と同世代の方です。
同世代の布教師の方から直接ご法話を賜り、大変刺激になりました。
私も先生のように、皆様へありがたい法話ができるように、これからも日々精進して参ります。

本当に有り難い時間でした。

1年で最も大切な法要が皆さまのおかげで、このような形でお勤めできました。

改めまして、皆さまありがとうございました。

今後とも皆様、善光寺をよろしくお願いいたします🙇

善光寺 副住職

【報恩講のご案内】〜最も大切な行事のご案内です〜

ご都合の合う方はどなたでも是非お参りください

善光寺門信徒の皆様へ

いつも大変お世話になっております。
善光寺副住職でございます😊

本日は皆様に来月善光寺にて執り行う「報恩講」という行事のご案内をさせて頂きます。

■ 日時:11月14日(木)10:00~12:00

■ 会場:善光寺本堂

■ 内容:

  1. 報恩講法要
  2. 特別法話 講師:山田智敬 師 (三重県津市存仁寺)

■ その他:

  • 法要後、御斎(おとき)は持ち帰りとさせて頂きます。
  • 駐車場は可能な限り第二駐車場、第三駐車場をご利用ください。  

「報恩講」という行事は、宗祖・親鸞聖人の遺徳を偲ぶ、一年最も大切な法要です。

法要は他のお寺様もお呼びしご一緒にお勤めさせて頂きます。


法話は布教使という浄土真宗本願寺派では特別な資格を持った先生をお呼びし1時間ほど法話を賜ります。

このように大変特別な法要になります。

ご都合の合う方は是非お参りいただけましたら幸いです😊


 
ご質問やご不明な点がございましたら、いつでもお気軽にお問い合わせください。

皆様のご参拝を心よりお待ち申し上げております。

合掌

善光寺 副住職

盂蘭盆会(お盆の法要)にお参り頂きました皆様へ

無事にお盆の法要を執り行う事ができました。
お参り頂きました皆様本当にありがとうございました。

お世話になっております。

善光寺副住職でございます。

先日、皆様にお知らせ致しました盂蘭盆会につきまして、無事に法要を執り行う事ができた事を報告致します。


※お知らせの記事は以下からご覧ください

 今年も無事に8/12 8/13の二日間に渡り、盂蘭盆会を執り行う事ができました。

 大変お暑い中お参り頂きました皆様、並びに懇志を納めて頂きました皆様におかれましては心よりお礼申し上げます。

 二日間とも晴天にも恵まれて、本堂が満員になる程多くの方にお参り頂きました。

 皆様に心よりお礼申し上げます。

 これからも皆様から応援して頂けるお寺を目指し、日々精進してまいります。

 お参りいただきました皆さま、本当にありがとうございました

 今後ともよろしくお願い申し上げます

 善光寺 副住職

盂蘭盆会(お盆の法要)のご案内

お盆期間中に善光寺にお参り頂く予定の方は是非ご一読ください

 お世話になっております。
 善光寺副住職でございます。

 最近とても暑くなってきた事もあり、善光寺の門信徒の方の中でも体調崩される方が非常に増えております。

 体調に気をつけてこの夏を乗り越えて行きましょう!

 さて、本日は表題のお盆の法要につきましてご連絡させて頂きます。

 今年も例年通り、8月12日、8月13日の15時より善光寺本堂にてお盆の法要を執り行います。

 以下の行事の詳細の画像をご覧ください。

 

こちらの案内を確認して頂きたいと思います。

そして当日の法要に参拝して頂ける皆様に2点お願い申し上げます。

①ふりがなをつけて頂くこと
懇志を納めて頂いた場合、故人様の法名、施主様のお名前を法要中にお読みさせて頂きます。
そのため故人様の法名、施主様のお名前に必ずふりがなをつけて頂きますようお願い申し上げます。

②駐車場につきまして
お盆期間中は大変混雑する事が予想されます。
そのためお盆期間中にお車で参拝して頂ける方におかれましては可能な限り第二駐車場をご利用頂きますようお願い申し上げます。
第二駐車場の場所はホームページからご確認頂けます。お時間ある時にご確認いただけましたら幸いです。駐車場の写真も載せておきますのでご確認お願い申しあげます。



これから私達もお盆の法要に向けて全力で準備をして参ります。

今年のお盆も皆様にお会いできる事を楽しみにしております。
皆様の来寺を心よりお待ちしております。

善光寺 副住職

副住職コラム②現代における葬儀や法要の意義〜なぜ私たちは葬儀を行うのか〜

 葬儀や法事など仏事を行うか迷われている方は是非最後までお読みください

 

 私が善光寺で副住職としてお勤めをさせて頂くようになり今年で5年目になります。


この5年間の中で多くの方から仏事に関する相談を受けてまいりました。


そして、その中でここ数年で最も多い質問が冒頭に挙げた
「お葬式や法事ってやらないといけないんですか?」という質問です。

 

 その質問の背景には、合理性を追求する近年の社会の流れがあるのかもしれません。


お通夜や初七日法要を省略して葬儀だけを行う「一日葬」や
葬儀さえも省略した「直葬」も近年多くなってきております。

 そして葬儀不要論を提唱する宗教学者の島田 裕巳さんが2010年にこちらの本を出版し、多くの反響がありました。

葬式は、要らない (幻冬舎新書 し 5-3) 新書 – 2010/1/28

島田 裕巳 (著)

こちらの本では現代の葬儀のあり方を批判し、簡素化するべきだという主張がされています。

また、こちらの本にも書かれているとおり、葬儀を行う歴史的根拠はありません。

 この記事を読んでいる皆様は驚かれるかもしれませんが、
実際に浄土真宗の宗祖、親鸞聖人は「自分が命を終えたら遺体を鴨川に流せ」と弟子達に伝えていたそうです。

 

親鸞、閉眼せば、賀茂河にいれて魚に与うべし。

『改邪鈔(がいじゃしょう)』

 

 このように、葬儀を行う宗教的な根拠は全くありません。
現代においては、合理性を重視し遺体の処理だけに着目するなら「直葬」という形が最も理にかなっているのかもしれません。

 では、以上を理由に冒頭の質問に対して「葬儀や法事など仏事をやらなくても全く問題ありません」と答えるのが一番良い答えでしょうか?

 

 私は全くそう思いません。

 

なぜなら、葬儀や法事というのは残された人達のために行うべきものだからです。

例えば、先ほどの親鸞聖人の例を元に考えてみましょう。

親鸞聖人のご遺体は本当に鴨川に流されたのでしょうか?

親鸞聖人との別れに悲しんでいる弟子たちがそのような事するわけがありません。

親鸞聖人の葬儀は行われ、ご遺体は火葬されて、遺骨は京都の大谷の地に埋葬され、ご遺族によって大切に護持されることとなりました。

 葬儀や法要というのは私たちが大切な人との別れを受け入れ、悲しみを乗り越えていく大切な儀式です。
 そして、大切な人との別離の悲しみを通して、自分達もいつか同じように命を終えていく身である事を改めて受け入れること。
 また、命を終えたら私たちはどうなるのか、仏教の教えに触れる現代においては重要な機会です。

 つまり、大切なことは、葬儀や法要というのは残された私たちのために行うものだということです。

 「お葬式や法事ってやらないといけないんですか?」
冒頭の質問に対して、私は今までこのように答えてきました。

「やらなければいけないものではありません。合理性だけを追求するなら葬儀や法事は不要です。ただ合理性だけを追求することが本当に幸せでしょうか?葬儀や法要は残された私たちのために行うものです。後からやらずに後悔するよりも、規模を小さくするなど無理なくできる範囲でやられた方が良いと思います。」

 社会は合理性を追求していますが、それが必ずしも私たちを幸せにするわけではありません。大切な人との別れにどう向き合うか、それぞれの心で感じ、考えていくべきです。

 私も僧侶として、社会の流行に流されず、常に考えながら本当に大切なことを守り続ける僧侶でありたいものです。

今後ともよろしくお願い致します。

善光寺 副住職