お彼岸の意義について
今年もお彼岸の時期が近づいてまいりました。
春分・秋分の頃になると、「お彼岸ですね」と声をかけ合い、お墓参りに向かわれる方も多いと思います。
季節の節目として、暮らしの中にすっかり根づいている行事です。
けれども、あらためて考えてみると、私たちはなぜお彼岸を勤めるのでしょうか。
お彼岸という言葉は、もともと仏教で「彼岸(ひがん)」――向こう岸を意味します。
迷い多いこの人間の世界を「此岸(しがん)」、そこから渡った“向こう岸”を「彼岸」と呼びます。
では、その向こう岸には何があるのでしょうか。
この問いの中に、お彼岸の大きな意義が込められています。
浄土真宗では、その向こう岸を阿弥陀様の極楽浄土といただきます。
阿弥陀さまは、迷いの中にある私たちを放っておくことなく、浄土へ生まれさせようと本願を起こしてくださいました。
ですからお彼岸は、彼岸として開かれた浄土と、そこへ私を導こうとしてくださる仏さまの願いを聞かせていただくご縁なのです。
「私の願いを聞いてもらう」のではなく、「私にかけられた願いを聞く」ご縁として
突然ですが、皆さまは願い事はお好きでしょうか?
おそらく多くの方が好きだと思います。
私も好きです。
「宝くじ高額当選しますように」
「大きな病気もなく過ごせますように」
「好きなスポーツチームが勝てますように」
「志望校に合格できますように」
私たちは、それぞれにたくさんの願いを抱いて生きています。
そして、ときどきこんなご質問をいただきます。
「お彼岸にお願い事をすると、願いが叶うのですよね」と。
今はネットで多くの方が発信されていて、「お彼岸にこうやってお参りすると運気が上がる!」みたいな記事が散見されます。
しかし、お彼岸の本来の意味から考えてみても、そのようなスピリチュアルな効果はありません。
私達、浄土真宗のご本尊である阿弥陀如来様は、私たちの願い事を思いどおりに叶えてくださる仏さまではありません。
阿弥陀様に「志望校に合格できますように」とお願いしても、
「受かるときは受かるし、落ちるときは落ちる」とおっしゃるかもしれません。
「好きなスポーツチームが勝てますように」とお願いしても、
「勝つときは勝つし、負けるときは負ける」とおっしゃるかもしれません。
こうしたお話を聞くと、少しがっかりされるかもしれません。
では、お彼岸とは、浄土真宗とは何なのでしょうか。
ここで大切になるのが、「矢印が違う」ということです。
私たちは、「私 → 仏さま」へ願いを投げる矢印を想像しがちです。
けれども、浄土真宗が見つめるのは、むしろその逆で「仏さま → 私」です。
「仏さまが、私を願ってくださっている。」
その願いを聞いていくこと――それが、浄土真宗のお参りの要です。
「あなたを必ず救う」
「あなたを見捨てない」
阿弥陀さまは、そのような願いをもって、私たちを浄土へ生まれさせようとしてくださっています。
しかし、私たち人間というのは、自分の願いには敏感ですが、自分にかけられた願いには気づきにくい生き物なのかもしれません。
けれども、自分では気づいていないだけで、私たちにはすでにたくさんの願いがかけられています。
上京した娘さんを思うお母さまの話
先月、あるご門徒様のお宅へご法事のお参りにうかがったときのことです。
そのご家庭には一人娘さんがおられ、その方は昨年の四月、大学進学を機に東京へ行かれたそうです。
娘さんは東京での大学生活を楽しく送っておられるとのことでしたが、
お母さまは毎日、娘さんのことが気がかりでならないとおっしゃっていました。
「この前も、『あまり夜遅くまで遊んではだめだよ』と電話したら、娘に『心配しすぎだよ』と怒られてしまってね。
一度怒られたので、今では電話も控えているのですが、東京では物騒な事件も多いので、本当に心配なんです。
心配で、毎日のように東京のニュースをインターネットで調べています。
今では名古屋より先に、東京の天気予報を見るくらいなんですよ。」
そんなお話を聞かせていただきながら、私は深く考えさせられました。
娘さんの側からすれば、東京での新しい生活に一生懸命なのだと思います。
勉強もあり、友人とのつきあいもあり、毎日を懸命に生きておられる。
だからこそ、お母さまがどれほど自分のことを気にかけておられるか、なかなか気づきにくいのかもしれません。
けれども、お母さまの側からすれば違います。
「危ない目に遭っていないか」
「無理をしていないか」
そうしたことを、いつも心にかけておられるのです。
私はこのお母さまのお姿に、阿弥陀様の私たちへのお心を重ねずにはおれませんでした。
阿弥陀様もまた、私たちを見捨てることなく、放っておくことなく、常に願いをかけてくださっています。
「あなたを必ず救う」
「あなたを見捨てない」
そうした大きな願いを、すでに私たち一人ひとりに向けてくださっています。
けれども私たちは、その願いにすぐ気づけるわけではありません。
娘さんが、自分に向けられているお母さまの深い思いにすぐには気づきにくいように、
私たちもまた、日々の暮らしに追われ、自分の願いや都合に心を奪われて、阿弥陀さまからかけられている願いを見失ってしまいがちです。
自分が何を願っているかは、よく分かります。
けれども、自分がどれほど願われているかは、案外見えていない。
そこに、私たち人間の姿があるのではないでしょうか。
だからこそ、お彼岸をご縁に、私にかけられた願いを聞かせていただきましょう。
お母さまが娘さんを案じるように、阿弥陀さまもまた「あなたを放っておけない」というお心をもって、常に私たちに願いをかけてくださっています。
このお彼岸を、自分にかけられた願いを聞かせていただく、大切なご縁として、お参りして参りましょう。
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最後までお読み頂きありがとうございました。
また今後ともよろしくお願い致します。
善光寺 副住職