【特設ページ】善光寺 合葬墓のご案内

合葬墓のご案内|善光寺(名古屋市中川区)|浄土真宗本願寺派
佛花山 浄土真宗本願寺派
善 光 寺
Z E N K O J I

合葬墓のご案内

〜「倶会一処」の教えとともに〜

このたび、善光寺では新たに「合葬墓(ごうそうぼ)」を建立いたしました。現代社会においては、少子化やライフスタイルの多様化により、「お墓を継ぐ人がいない」「子どもに負担をかけたくない」「一人で亡くなったとき、納骨先が心配だ」——このような悩みを抱える方が増えています。

私たちは、そうした門信徒の皆様のお声にお応えすべく、「倶会一処(くえいっしょ)」の教えに基づいた合同埋葬のかたちを整えることといたしました。

「倶会一処」とは?

浄土真宗では『仏説阿弥陀経』という経典を大切な経典の一つと考えております。その経典に「倶会一処」という教えがあります。

倶 会 一 処

私たち人間が命を終えた時、阿弥陀如来様のはたらきによって、浄土に生まれさせて頂き、お浄土で必ず亡き人とお互い仏となって再び会うことができる——そのような教えです。

それは、人間としての死が「別れ」で終わるのではなく、仏として出遇い直す「つながり」の場であるという、深いまなざしでもあります。その教えに基づき、ご遺骨を一つの場にお納めし、ともに仏縁を結ぶ合葬墓を建立いたしました。

このような方へ

合葬墓は、以下のような方を対象としております。

  • 単身の方や跡継ぎのいない方
  • 個人墓地・納骨堂をお持ちでない方(あるいは今後持つ予定のない方)
  • 分骨を希望される方
  • ご家族やご親族との事情で、個別のお墓に入ることが難しい方

※いずれの場合も、善光寺の門信徒としてご縁を結んでいただける方に限らせていただきます。

費用について

納骨費用:おひとり(一体)につき 10万円

その他の費用は一切不要です。年間の管理料・更新料も発生いたしません。
ご遺骨の納骨にあたっては、永代経をあわせて承っております。

ご納骨までの流れ

  1. STEP 1
    お問い合わせ・ご相談

    お電話、公式LINE、またはメールよりご連絡くださいませ。ご事情を伺い、ご質問にお答えいたします。

  2. STEP 2
    ご見学・ご面談

    ご希望に応じて合葬墓の現地をご案内いたします。副住職が直接ご説明いたしますので、ご不安な点もその場でお尋ねください。

  3. STEP 3
    お申し込み

    ご納得いただけましたら、お申し込みの手続きをいたします。必要な書類のご案内も丁寧に行います。

  4. STEP 4
    ご納骨・永代経

    日程をご相談のうえ、納骨法要を執り行います。

よくいただくご質問

「門信徒」とは、どのような意味でしょうか?
「門信徒(もんしんと)」とは、浄土真宗のみ教えにご縁をいただき、阿弥陀如来のお救いを拠りどころとされる方々のことでございます。すでに善光寺とお付き合いのある方だけでなく、これから新たにご縁を結ばせていただく方もお申し込みいただけます。詳しくはご相談の折にお話しさせてください。
他の宗派の者ですが、申し込めますか?
善光寺の合葬墓は、浄土真宗本願寺派のみ教えのもとに営んでおり、門信徒としてご縁を結んでいただける方を対象としております。現在のご宗派からのお移りについてはご事情もおありかと存じますので、まずは率直にご相談くださいませ。
すでに他のお墓にあるお骨を移すことはできますか?
可能でございます。改葬の手続きが必要となりますので、まずはお気軽にご相談ください。手続きの流れもご案内させていただきます。
生前に申し込むことはできますか?
はい、生前のお申し込み(生前予約)も承っております。ご自身で安心できるかたちを整えておきたいというお気持ち、住職としても大切に受け止めております。
分骨の形でも納骨できますか?
可能でございます。ご本家のお墓を別にお持ちで、「一部だけでもお寺にお預けしたい」というご希望も承っております。分骨の手続きにつきましても、ご相談のうえ進めさせていただきます。
年忌法要をお願いすることはできますか?
承っております。一周忌、三回忌、七回忌など、ご家族のお気持ちに沿ってお勤めさせていただきます。お布施につきましては、別途ご相談くださいませ。
合葬墓以外の納骨手段はありますか?
ございます。ご事情やご希望によって、合葬墓以外のかたちでのご納骨も承ることができます。まずはお気軽にご相談くださいませ。
合葬墓に納めた後、お骨を取り出すことはできますか?
合葬墓は、他の方のお骨とご一緒にお納めするかたちとなりますため、ご納骨後にお骨をお取り出しすることはできません。お申し込み前に、ご家族とよくご相談いただくことをおすすめしております。

最後に

お墓のあり方は、時代とともに変化していきます。

しかし、「大切な人を偲ぶ場所」「仏さまとのご縁を結ぶ場」という本質は、変わることがございません。

合葬墓は、おひとりおひとりのいのちが大切にされ、仏さまの慈悲のなかで穏やかに迎えられるための、新しいかたちでございます。不安なこと、わからないことがあれば、どうぞ遠慮なくご相談くださいませ。

皆さまとのご縁を、心よりお待ちしております。

合掌
善光寺 副住職 伊藤誠英

お問い合わせ

ご不明な点、ご不安な点、どうぞお気軽にお尋ねくださいませ。
副住職が直接、お話を伺います。

※お電話でもお受けいたしますが、法要に出ていることが多いため、
可能であればLINEまたはメールでご連絡いただけますと幸いです。

アクセス
〒454-0945 愛知県名古屋市中川区下之一色町権野123
TEL:052-301-8344 FAX:052-301-8640
© ZENKOJI

副住職コラム⑤〜友引の日に葬儀を避けた方が良いのか〜

「友引の日に葬儀は避けた方が良いでしょうか?」

このご相談をいただくことは以前からありましたが、今年の4月以降、特に増えております。

この背景には、八事斎場の改装工事があります。
名古屋市には本来「八事斎場」と「第二火葬場」の二つの火葬場がありますが、現在は八事斎場が工事のため閉鎖中です。


そのため現在、第二火葬場に負担が集中し、火葬場全体が大変混み合っています。

これは完全に私の予想ですが、
冬場など亡くなられる方が増える時期には、一週間程度の待ちが発生するのではないかと思います。

こうした状況の中で、火葬場の都合上、「友引の日でも葬儀を行わざるを得ない」という現実があります。

こうした背景があり、「友引の日に葬儀をしてもよいのか」というご質問が、改めて多く寄せられているのだと思います。

では、本当に友引の日に葬儀をしてはいけないのでしょうか?


六曜と仏教は関係がない

まず大切なことは、六曜(大安・仏滅・友引など)は、仏教とはまったく関係がない暦注であるということです。
六曜の起源は中国にあり、日本には江戸時代以降に広まりました。



仏教の経典や教えの中には「六曜」に関する記述は一切なく、浄土真宗をはじめとする仏教各宗派の立場から見ても、六曜は信仰の根拠にはなりません。


「友引=友を引く」の誤解

「友引の日に葬儀をすると、友をあの世へ引き込んでしまう」という言い伝えがあります。
しかし、これはあくまで俗信であり、根拠のない迷信です。

友引本来の意味は「勝負が引き分ける」という暦の吉凶判断にすぎず、「友を引く」といった死に関する意味合いは後世のこじつけです。


私、副住職の考え

浄土真宗の僧侶としての立場から申しますと、葬儀は「亡き方をご縁として仏さまの教えをいただく大切な場」です。
六曜に左右される必要はなく、ご家族の都合やご縁を優先して執り行うことが大切です。

しかし、私の個人的な意見としては、どうしても六曜を気にしてしまうのは人間の性です。

例えば、結婚式を挙げるなら大安にやりたい人が多いです。
好き好んで仏滅の日に結婚式を進んで挙げる人は基本的にいません。

人間というのは、そうした迷信をどうしても気にしてしまう生き物だと思います

そして、浄土真宗の宗祖、親鸞聖人はそうした迷信に流されてしまう、私たち人間の弱さを以下の言葉を残して嘆いています。

「かなしきかなや道俗の良時吉日えらばしめ天神地祇をあがめつつト占祭祀つとめとす」
『正像末和讃』『真宗聖典』509頁

しかし、この言葉をよく読み解くと、「迷信に流されてはいけない、六曜を気にしてはいけない」とは一言も書かれていません。

そうではなく、そうした私たち人間の生まれ持った弱さを嘆いておられる言葉です。

実際に親鸞聖人は私たちの人間の弱さをよくわかっていたのではないでしょうか。

以上を踏まえて、私の結論はこうです。


「友引に葬儀をしてはいけないという仏教の教えはありません。しかし同時に、『六曜を気にしてはいけない』という教えもありません。親鸞聖人は、人が迷信を気にしてしまう弱さを受けとめてくださっています。ですから、どうしても気になる方は友引を避ければよいし、気になさらないのであれば友引に葬儀を行ってもまったく問題はありません。」


まとめ

友引の日に葬儀をしてはいけないという仏教上の理由はありません。
六曜は仏教とは関係ありません。

しかし同時に、人はどうしても迷信を気にしてしまう生き物です。
親鸞聖人もまた、その弱さをよく理解されていました。

ですから大切なのは、無理に「気にするな」と自分を押さえつけることではなく、
「どうしても気になる方は友引を避ける」
「気にされない方は友引に行っても差し支えない」

――その柔らかさで良いのだと思います。

葬儀は、六曜に左右されるものではなく、亡き方をご縁として仏さまの教えをいただく大切な場です。
迷信に振り回されすぎず、安心してご家族のご都合に合わせてご相談ください。


※もし「こんなテーマで取り上げてほしい」「この疑問について聞いてみたい」といったリクエストがありましたら、ぜひお気軽にお寄せください。
皆さまの声を参考にしながら、少しでも安心や学びにつながる記事をお届けしてまいります。


最後までお読み頂きありがとうございました。
また今後ともよろしくお願い致します。

善光寺 副住職

副住職コラム②現代における葬儀や法要の意義〜なぜ私たちは葬儀を行うのか〜

 葬儀や法事など仏事を行うか迷われている方は是非最後までお読みください

 

 私が善光寺で副住職としてお勤めをさせて頂くようになり今年で5年目になります。


この5年間の中で多くの方から仏事に関する相談を受けてまいりました。


そして、その中でここ数年で最も多い質問が冒頭に挙げた
「お葬式や法事ってやらないといけないんですか?」という質問です。

 

 その質問の背景には、合理性を追求する近年の社会の流れがあるのかもしれません。


お通夜や初七日法要を省略して葬儀だけを行う「一日葬」や
葬儀さえも省略した「直葬」も近年多くなってきております。

 そして葬儀不要論を提唱する宗教学者の島田 裕巳さんが2010年にこちらの本を出版し、多くの反響がありました。

葬式は、要らない (幻冬舎新書 し 5-3) 新書 – 2010/1/28

島田 裕巳 (著)

こちらの本では現代の葬儀のあり方を批判し、簡素化するべきだという主張がされています。

また、こちらの本にも書かれているとおり、葬儀を行う歴史的根拠はありません。

 この記事を読んでいる皆様は驚かれるかもしれませんが、
実際に浄土真宗の宗祖、親鸞聖人は「自分が命を終えたら遺体を鴨川に流せ」と弟子達に伝えていたそうです。

 

親鸞、閉眼せば、賀茂河にいれて魚に与うべし。

『改邪鈔(がいじゃしょう)』

 

 このように、葬儀を行う宗教的な根拠は全くありません。
現代においては、合理性を重視し遺体の処理だけに着目するなら「直葬」という形が最も理にかなっているのかもしれません。

 では、以上を理由に冒頭の質問に対して「葬儀や法事など仏事をやらなくても全く問題ありません」と答えるのが一番良い答えでしょうか?

 

 私は全くそう思いません。

 

なぜなら、葬儀や法事というのは残された人達のために行うべきものだからです。

例えば、先ほどの親鸞聖人の例を元に考えてみましょう。

親鸞聖人のご遺体は本当に鴨川に流されたのでしょうか?

親鸞聖人との別れに悲しんでいる弟子たちがそのような事するわけがありません。

親鸞聖人の葬儀は行われ、ご遺体は火葬されて、遺骨は京都の大谷の地に埋葬され、ご遺族によって大切に護持されることとなりました。

 葬儀や法要というのは私たちが大切な人との別れを受け入れ、悲しみを乗り越えていく大切な儀式です。
 そして、大切な人との別離の悲しみを通して、自分達もいつか同じように命を終えていく身である事を改めて受け入れること。
 また、命を終えたら私たちはどうなるのか、仏教の教えに触れる現代においては重要な機会です。

 つまり、大切なことは、葬儀や法要というのは残された私たちのために行うものだということです。

 「お葬式や法事ってやらないといけないんですか?」
冒頭の質問に対して、私は今までこのように答えてきました。

「やらなければいけないものではありません。合理性だけを追求するなら葬儀や法事は不要です。ただ合理性だけを追求することが本当に幸せでしょうか?葬儀や法要は残された私たちのために行うものです。後からやらずに後悔するよりも、規模を小さくするなど無理なくできる範囲でやられた方が良いと思います。」

 社会は合理性を追求していますが、それが必ずしも私たちを幸せにするわけではありません。大切な人との別れにどう向き合うか、それぞれの心で感じ、考えていくべきです。

 私も僧侶として、社会の流行に流されず、常に考えながら本当に大切なことを守り続ける僧侶でありたいものです。

今後ともよろしくお願い致します。

善光寺 副住職