【特設ページ】善光寺 合葬墓のご案内

合葬墓のご案内|善光寺(名古屋市中川区)|浄土真宗本願寺派
佛花山 浄土真宗本願寺派
善 光 寺
Z E N K O J I

合葬墓のご案内

〜「倶会一処」の教えとともに〜

このたび、善光寺では新たに「合葬墓(ごうそうぼ)」を建立いたしました。現代社会においては、少子化やライフスタイルの多様化により、「お墓を継ぐ人がいない」「子どもに負担をかけたくない」「一人で亡くなったとき、納骨先が心配だ」——このような悩みを抱える方が増えています。

私たちは、そうした門信徒の皆様のお声にお応えすべく、「倶会一処(くえいっしょ)」の教えに基づいた合同埋葬のかたちを整えることといたしました。

「倶会一処」とは?

浄土真宗では『仏説阿弥陀経』という経典を大切な経典の一つと考えております。その経典に「倶会一処」という教えがあります。

倶 会 一 処

私たち人間が命を終えた時、阿弥陀如来様のはたらきによって、浄土に生まれさせて頂き、お浄土で必ず亡き人とお互い仏となって再び会うことができる——そのような教えです。

それは、人間としての死が「別れ」で終わるのではなく、仏として出遇い直す「つながり」の場であるという、深いまなざしでもあります。その教えに基づき、ご遺骨を一つの場にお納めし、ともに仏縁を結ぶ合葬墓を建立いたしました。

このような方へ

合葬墓は、以下のような方を対象としております。

  • 単身の方や跡継ぎのいない方
  • 個人墓地・納骨堂をお持ちでない方(あるいは今後持つ予定のない方)
  • 分骨を希望される方
  • ご家族やご親族との事情で、個別のお墓に入ることが難しい方

※いずれの場合も、善光寺の門信徒としてご縁を結んでいただける方に限らせていただきます。

費用について

納骨費用:おひとり(一体)につき 10万円

その他の費用は一切不要です。年間の管理料・更新料も発生いたしません。
ご遺骨の納骨にあたっては、永代経をあわせて承っております。

ご納骨までの流れ

  1. STEP 1
    お問い合わせ・ご相談

    お電話、公式LINE、またはメールよりご連絡くださいませ。ご事情を伺い、ご質問にお答えいたします。

  2. STEP 2
    ご見学・ご面談

    ご希望に応じて合葬墓の現地をご案内いたします。副住職が直接ご説明いたしますので、ご不安な点もその場でお尋ねください。

  3. STEP 3
    お申し込み

    ご納得いただけましたら、お申し込みの手続きをいたします。必要な書類のご案内も丁寧に行います。

  4. STEP 4
    ご納骨・永代経

    日程をご相談のうえ、納骨法要を執り行います。

よくいただくご質問

「門信徒」とは、どのような意味でしょうか?
「門信徒(もんしんと)」とは、浄土真宗のみ教えにご縁をいただき、阿弥陀如来のお救いを拠りどころとされる方々のことでございます。すでに善光寺とお付き合いのある方だけでなく、これから新たにご縁を結ばせていただく方もお申し込みいただけます。詳しくはご相談の折にお話しさせてください。
他の宗派の者ですが、申し込めますか?
善光寺の合葬墓は、浄土真宗本願寺派のみ教えのもとに営んでおり、門信徒としてご縁を結んでいただける方を対象としております。現在のご宗派からのお移りについてはご事情もおありかと存じますので、まずは率直にご相談くださいませ。
すでに他のお墓にあるお骨を移すことはできますか?
可能でございます。改葬の手続きが必要となりますので、まずはお気軽にご相談ください。手続きの流れもご案内させていただきます。
生前に申し込むことはできますか?
はい、生前のお申し込み(生前予約)も承っております。ご自身で安心できるかたちを整えておきたいというお気持ち、住職としても大切に受け止めております。
分骨の形でも納骨できますか?
可能でございます。ご本家のお墓を別にお持ちで、「一部だけでもお寺にお預けしたい」というご希望も承っております。分骨の手続きにつきましても、ご相談のうえ進めさせていただきます。
年忌法要をお願いすることはできますか?
承っております。一周忌、三回忌、七回忌など、ご家族のお気持ちに沿ってお勤めさせていただきます。お布施につきましては、別途ご相談くださいませ。
合葬墓以外の納骨手段はありますか?
ございます。ご事情やご希望によって、合葬墓以外のかたちでのご納骨も承ることができます。まずはお気軽にご相談くださいませ。
合葬墓に納めた後、お骨を取り出すことはできますか?
合葬墓は、他の方のお骨とご一緒にお納めするかたちとなりますため、ご納骨後にお骨をお取り出しすることはできません。お申し込み前に、ご家族とよくご相談いただくことをおすすめしております。

最後に

お墓のあり方は、時代とともに変化していきます。

しかし、「大切な人を偲ぶ場所」「仏さまとのご縁を結ぶ場」という本質は、変わることがございません。

合葬墓は、おひとりおひとりのいのちが大切にされ、仏さまの慈悲のなかで穏やかに迎えられるための、新しいかたちでございます。不安なこと、わからないことがあれば、どうぞ遠慮なくご相談くださいませ。

皆さまとのご縁を、心よりお待ちしております。

合掌
善光寺 副住職 伊藤誠英

お問い合わせ

ご不明な点、ご不安な点、どうぞお気軽にお尋ねくださいませ。
副住職が直接、お話を伺います。

※お電話でもお受けいたしますが、法要に出ていることが多いため、
可能であればLINEまたはメールでご連絡いただけますと幸いです。

アクセス
〒454-0945 愛知県名古屋市中川区下之一色町権野123
TEL:052-301-8344 FAX:052-301-8640
© ZENKOJI

副住職コラム⑦〜公式LINEからご連絡頂くメリットについて〜


お寺への連絡は、もっと気軽でいいと思うのです

2024年6月に善光寺公式LINEを開設してから、約二年が経ちました。

皆様のおかげで、2026年3月24日時点で、お友達登録は183人となりました。


善光寺門信徒の皆様に置かれましては、ここまで善光寺公式LINEを育てていただき、本当にありがたく思っております。心より御礼申し上げます。

※公式LINEは以下のURLまたはQRコードからご登録頂けます。ぜひご登録ください!
https://lin.ee/5Q18F37

本日は、その御礼とあわせて、あらためて一つお願いがございます。

これから初めて善光寺に連絡しようと考えておられる方も、
すでにご縁があり、法要や納骨、ご相談などでやりとりをしてくださっている方も、
是非善光寺公式LINEをどんどんご活用いただけましたら幸いです。


誰しもが気軽にお坊さんに相談できる社会にしたい

私は前々から、わりと本気で、誰しもがもっと気軽にお坊さんへ相談できる社会になった方がよいと思っています。

けれど現実には、どうもお坊さんというものは相談のハードルが高いと感じる方が多いようです。

まず、見た目でしょう。
お坊さんの姿が日常向きではありません。


それに、お寺という場所も、気軽に相談するには少し静かすぎます。
病院には行ける。美容院にも行ける。市役所にも行ける。
でもお寺には、用事がないと入りにくい。
そして、用事がある頃には、だいたい心が少し疲れている。

これは、あまり良いことではないなと思うのです。

本来、お寺もお坊さんも、
「困ってから命がけで訪ねる場所」ではなく、
「少し気になることを、もう少し早めに相談できる場所」
であった方がいい
と私は思っています。

だからこそ、私はLINEという入口を、もっと遠慮なく使ってほしいと思っています。

もちろん葬儀の依頼など緊急性を伴う場合は、電話の方が良いかと思います。

ただ、緊急性を伴わないご連絡の場合、こと「相談のしやすさ」に関しては、LINEにはかなりの強みがあると私は確信してます。


① 電話では言いにくいことも、LINEなら送れる

これは本当に大きいです。

お寺への相談というのは、要件だけ見れば単純でも、気持ちはそう単純ではありません。

葬儀の事前相談。法事のこと。納骨のこと。お仏壇のこと。お墓のこと。
あるいは、「こんなことを聞いてしまってよいのだろうか」ということ。

電話ですと、どうしてもその場で話をまとめる必要があります。


しかも相手がお坊さんだと、なぜか妙にちゃんと話さなければいけないと身構える方が多いそうです。


別にちゃんと話して頂く必要性は全くないのですが、何となく気持ちは分かります。

その点、LINEでしたら、
「少し相談したいことがあります」
「法要について教えていただきたいです」
その一言を送って頂くだけで、やり取りを始めていただけます。

立派な文章である必要はありません。
起承転結も不要です。


むしろ仏事の相談に起承転結がありすぎると、それはそれで少し心配です。

まず一言送っていただければ、そこから一緒に整理していけます。


② 記録が残るので、あとで見返せる

これは現実的ですが、かなり大事です。

法要や納骨のご相談では、
何日の何時か。
場所はどこか。
何を持っていけばよいか。
服装はどうか。
お供えは何がよいか。

こうした確認事項が思った以上にあります。

電話で聞くと、その場では「なるほど、分かりました」となるのですが、
三日後には「何が分かったのだったか」となることがあります。


人はそういうものです。
私もそうです。

私も以前、区役所に息子の保育園の申し込みの手続きについて電話で確認したことがあるのですが、数日後には驚くほど綺麗に忘れました。
あれだけ「はい、はい、なるほど」と、分かったような声を出していたにもかかわらず、三日後には、何が「なるほど」だったのかさっぱり分からない。


人間の記憶というのは、なかなか頼もしくありません。

法要や納骨のことも同じで、その場では分かったつもりでも、例えば数日後に「11時だったか、11時半だったか」と記憶がふわっとすることがあります。
だからこそ、後から見返せるLINEは、とても便利なツールだと思います。

LINEであれば、やりとりがそのまま文字情報として残ります。
ご家族にも共有しやすい。
あとから落ち着いて確認できる。
これは、皆様にとって非常に大きなメリットだと思います。


③ 私たちも、落ち着いて正確に皆様へお返事しやすい

これも実はとても大切なところです。

お寺は、なんとなくいつも静かで、いつ行っても人がいて、しかもすぐ電話に出られそうな雰囲気がありますが、そんなこともありません。

お勤めの最中、来客対応中、移動中ということもあります。

月2回ぐらいのタイミングでお休みをいただいて、家族で出掛けている事もあります。


つまり、「電話に出る」という一点において、お坊さんは案外ふつうの社会人の方と一緒で、その場ですぐに出られないケースもたまにあります。

LINEでしたら、例え休みの日で出掛けていても、内容を確認したうえで、予定表も見て、必要なことを整理してから、落ち着いてお返事できます。

つまり、LINEは「雑な連絡手段」ではなく、丁寧にご対応するための非常に便利な道具でもあるのです。

電話より、きちんと確認して返せるLINEの方が、結果として皆様にとって親切な形でお返事ができるかと思います。


④ 小さなことでも、友達にLINEするぐらいの温度感でお問い合わせください

私は、これが一番大事だと思っています。

「服装は平服でよいですか」
「子ども連れでも大丈夫ですか」
「お供えは何を持っていけばよいですか」
「まだ何も決まっていないのですが、相談してよいですか」

こういうことこそ、是非遠慮なく送っていただきたいと私は思っています。

大きな悩みというのは、たいてい小さな不安の集まりです。
そしてその小さな不安は、誰かに一言聞ければ済むことが多い。

けれど、お寺相手だと、その一言がなかなか送れない方が多いそうです。
しかしLINEくらいは、もっと友達に連絡するかの如く、軽く使っていただきたいのです。

たとえばみなさんが友達に連絡する時、
皆様は毎回、
「前略、春暖の候、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます」
とは送らないはずです。

たぶん、
「今ちょっと聞いていい?」
くらいから始まると思います。

善光寺公式LINEも、このような感じで大丈夫です。

「少し仏教の相談したいです」
「法要のことで聞きたいです」
「まだ決まってないのですが、葬儀のことを前もって相談してもいいですか」

これくらいの温度感で十分です。

「こんなこと聞いていいですか」と聞くために、まず勇気が要る。

この構造は、できるだけ早く終わらせた方がよいと私は思っています。


⑤ 「まだお願いすると決めていない」段階でも大丈夫です

これも、気にされる方がとても多いです。


例えば葬儀の事前相談など、正式にお願いすると決まってからでないと連絡してはいけない、と思われる方もいらっしゃいますが、そのようなことはありません。

むしろ、まだ迷っている段階、まだ頭の中が「?」でいっぱいの段階でご相談いただけた方が、話はずっとスムーズです。

何が必要なのか。
何から考えればいいのか。

こうしたことは、早めに少し分かるだけでも、気持ちがかなり楽になると思います。

仏事というのは、何度も経験して慣れている方のほうが、むしろ少数派です。
たいていの方にとっては、人生でそう何回もあることではありません。

ですから、分からないことがあるのは当然ですので、その都度お気軽にご連絡ください。


まとめ

善光寺公式LINEでは、基本的にどのようなご連絡でも承っております。

法要、納骨、葬儀の事前相談など、
「こんなこと聞いていいのかな」と思うことほど、どうぞ遠慮なくお送りください。

文章がまとまっていなくても大丈夫です。
短いメッセージでも問題ありません。
まずは一言、お送りください。

私は、誰しもがもっと気軽にお坊さんへ相談できる社会になった方がよいと割と本気で思っています。

善光寺の公式LINEが、そのための小さな入口になれば、これほどありがたいことはありません。

どうぞお気軽にご活用ください。
今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

善光寺 副住職


最後までお読み頂きありがとうございました。
今一度、URLとQRコードを貼っておきますので、是非LINEをご利用ください。

https://lin.ee/5Q18F37

副住職コラム⑤〜友引の日に葬儀を避けた方が良いのか〜

「友引の日に葬儀は避けた方が良いでしょうか?」

このご相談をいただくことは以前からありましたが、今年の4月以降、特に増えております。

この背景には、八事斎場の改装工事があります。
名古屋市には本来「八事斎場」と「第二火葬場」の二つの火葬場がありますが、現在は八事斎場が工事のため閉鎖中です。


そのため現在、第二火葬場に負担が集中し、火葬場全体が大変混み合っています。

これは完全に私の予想ですが、
冬場など亡くなられる方が増える時期には、一週間程度の待ちが発生するのではないかと思います。

こうした状況の中で、火葬場の都合上、「友引の日でも葬儀を行わざるを得ない」という現実があります。

こうした背景があり、「友引の日に葬儀をしてもよいのか」というご質問が、改めて多く寄せられているのだと思います。

では、本当に友引の日に葬儀をしてはいけないのでしょうか?


六曜と仏教は関係がない

まず大切なことは、六曜(大安・仏滅・友引など)は、仏教とはまったく関係がない暦注であるということです。
六曜の起源は中国にあり、日本には江戸時代以降に広まりました。



仏教の経典や教えの中には「六曜」に関する記述は一切なく、浄土真宗をはじめとする仏教各宗派の立場から見ても、六曜は信仰の根拠にはなりません。


「友引=友を引く」の誤解

「友引の日に葬儀をすると、友をあの世へ引き込んでしまう」という言い伝えがあります。
しかし、これはあくまで俗信であり、根拠のない迷信です。

友引本来の意味は「勝負が引き分ける」という暦の吉凶判断にすぎず、「友を引く」といった死に関する意味合いは後世のこじつけです。


私、副住職の考え

浄土真宗の僧侶としての立場から申しますと、葬儀は「亡き方をご縁として仏さまの教えをいただく大切な場」です。
六曜に左右される必要はなく、ご家族の都合やご縁を優先して執り行うことが大切です。

しかし、私の個人的な意見としては、どうしても六曜を気にしてしまうのは人間の性です。

例えば、結婚式を挙げるなら大安にやりたい人が多いです。
好き好んで仏滅の日に結婚式を進んで挙げる人は基本的にいません。

人間というのは、そうした迷信をどうしても気にしてしまう生き物だと思います

そして、浄土真宗の宗祖、親鸞聖人はそうした迷信に流されてしまう、私たち人間の弱さを以下の言葉を残して嘆いています。

「かなしきかなや道俗の良時吉日えらばしめ天神地祇をあがめつつト占祭祀つとめとす」
『正像末和讃』『真宗聖典』509頁

しかし、この言葉をよく読み解くと、「迷信に流されてはいけない、六曜を気にしてはいけない」とは一言も書かれていません。

そうではなく、そうした私たち人間の生まれ持った弱さを嘆いておられる言葉です。

実際に親鸞聖人は私たちの人間の弱さをよくわかっていたのではないでしょうか。

以上を踏まえて、私の結論はこうです。


「友引に葬儀をしてはいけないという仏教の教えはありません。しかし同時に、『六曜を気にしてはいけない』という教えもありません。親鸞聖人は、人が迷信を気にしてしまう弱さを受けとめてくださっています。ですから、どうしても気になる方は友引を避ければよいし、気になさらないのであれば友引に葬儀を行ってもまったく問題はありません。」


まとめ

友引の日に葬儀をしてはいけないという仏教上の理由はありません。
六曜は仏教とは関係ありません。

しかし同時に、人はどうしても迷信を気にしてしまう生き物です。
親鸞聖人もまた、その弱さをよく理解されていました。

ですから大切なのは、無理に「気にするな」と自分を押さえつけることではなく、
「どうしても気になる方は友引を避ける」
「気にされない方は友引に行っても差し支えない」

――その柔らかさで良いのだと思います。

葬儀は、六曜に左右されるものではなく、亡き方をご縁として仏さまの教えをいただく大切な場です。
迷信に振り回されすぎず、安心してご家族のご都合に合わせてご相談ください。


※もし「こんなテーマで取り上げてほしい」「この疑問について聞いてみたい」といったリクエストがありましたら、ぜひお気軽にお寄せください。
皆さまの声を参考にしながら、少しでも安心や学びにつながる記事をお届けしてまいります。


最後までお読み頂きありがとうございました。
また今後ともよろしくお願い致します。

善光寺 副住職

副住職コラム③〜浄土真宗の御利益とは何か〜

浄土真宗に触れると人生がどう変わっていくのか 
浄土真宗に興味のある方は最後までお読み頂けると幸いです。

皆様お世話になっております。
善光寺副住職でございます。

本日は久しぶりのコラム更新となります。

前回のコラムはこちらからご覧ください。

今回はタイトルにもある「浄土真宗の御利益」というテーマについてお話しさせて頂きたいと思います。

皆様、突然ですが御利益というとどのようなイメージを持つでしょうか?

まず、一般的な「御利益」とは
・商売繁盛
・良縁成就
・学業成就
・開運厄除
などが一般的だと思います。

「もっとお金持ちになりたい」

「素敵な恋人が欲しい」

「志望校に合格したい」

「周囲に認められたい」

私達が日々の生活を送る中で、誰もが願う幸せのかたちとして、これらを求めることは自然なことかもしれません。

しかし、残念ながら浄土真宗では、このような御利益はありません。

浄土真宗の教えに触れお念仏申す日々を歩んだからといって、急に人生が好転するわけではありません。
厳しい言い方になるかもしれませんが、浄土真宗の教えに触れても目の前の現実は何も変わりません。

では改めて、浄土真宗の御利益とは一体何でしょうか?

それは一言でいうと「死ぬことの意味が全く変わる」という事に尽きると私は思います。

一昔前、ビジネス書界隈でこのような本が大変流行しました。

この本は私も読んだことがあり、内容自体は心に響く部分もありました。
良い本だと思います。

この本が大ヒットした影響で、一時期ビジネス書界隈では「死ぬこと以外かすり傷」という言葉がとても流行りました。

しかし、私自身は「死ぬこと以外かすり傷」という言葉には違和感を覚えました。

それはなぜか?

それは人はいつか必ず死ぬからです

「死ぬこと以外はかすり傷」というこの言葉の裏には「死ぬ事は致命傷」という意味もあると感じました。

この言葉の背景には「死んだら終わり」「死んだら何もない」という価値観があるのではないかと思います。
この本の影響で「死ぬ事以外はかすり傷」という言葉が若い世代で流行っていた事を考えると「死んだら何もない」という価値観が多くの人に浸透しているのではないかと思いました。

「死んだら何もない」という価値観が背景にあるのか、一般的にはこの世で命を終えることを死して去ると書いて「死去」するという言葉が使われていると思います。

しかし、浄土真宗では命終える事を死去するとは言いません。

では、浄土真宗で命終えることをなんというでしょうか?

それは仏様の世界に往き生まれると書いて「往生」すると言います。

私達は命終えたらそれで終わりではございません。


この世で命を終えるという事は同時に、阿弥陀如来様に導かれ仏様として新たな命を頂き生まれます。

この世で命を終えるという事は仏様の世界で新たな命を頂くという事です。

「死去」という価値観から「往生」という価値観に変わっていく事。

この変化が浄土真宗の最大の御利益だと私は思います。

なぜなら、死ぬ事は誰もが避けては通れない、いつか必ず経験する事だからです。

そして、この避けられない「死」という現実に対する見方が変わるという事は大きな御利益と言えるのではないでしょうか?

  • この世で命を尽きて終わりではない。仏様の世界でまた新たな命が始まる。
  • 大切な人とこの世で別れてもまた必ず仏様の世界で再会できる。

冒頭にもお伝えした通り、
この浄土真宗の教えに触れても目の前の現実自体は何も変わりません。

しかし、厳しい現実を生き抜く上での生き方は大きく変わるのではないでしょうか?

「死んだら終わり」と考えている人と「命終えたら必ず仏の世界に生まれ新たな命を頂く」と考えている人、両者の生き方には大きな差があると私は思います。

このように、浄土真宗の御利益は目の前の現実を大きく変えるものではありません。
しかし、人生で避けることのできない「死」という現実に対する見方を変え、私たちの生き方の根底を支える大きな力になると私は思います。

最後に、お読みいただいた皆様へ。

阿弥陀如来様は、煩悩にまみれた私たち全員を必ず救おうといつも働きかけてくださっておられます。

この浄土真宗の教えに触れ、興味を持って頂いた方々におかれましては阿弥陀如来様への感謝の気持ちを込めて「南無阿弥陀仏」とお念仏申して頂きたいと思います。

これからもお念仏申し心豊かな生活を共に歩んで参りましょう。

最後までお読み頂きありがとうございました。

善光寺 副住職

副住職コラム②現代における葬儀や法要の意義〜なぜ私たちは葬儀を行うのか〜

 葬儀や法事など仏事を行うか迷われている方は是非最後までお読みください

 

 私が善光寺で副住職としてお勤めをさせて頂くようになり今年で5年目になります。


この5年間の中で多くの方から仏事に関する相談を受けてまいりました。


そして、その中でここ数年で最も多い質問が冒頭に挙げた
「お葬式や法事ってやらないといけないんですか?」という質問です。

 

 その質問の背景には、合理性を追求する近年の社会の流れがあるのかもしれません。


お通夜や初七日法要を省略して葬儀だけを行う「一日葬」や
葬儀さえも省略した「直葬」も近年多くなってきております。

 そして葬儀不要論を提唱する宗教学者の島田 裕巳さんが2010年にこちらの本を出版し、多くの反響がありました。

葬式は、要らない (幻冬舎新書 し 5-3) 新書 – 2010/1/28

島田 裕巳 (著)

こちらの本では現代の葬儀のあり方を批判し、簡素化するべきだという主張がされています。

また、こちらの本にも書かれているとおり、葬儀を行う歴史的根拠はありません。

 この記事を読んでいる皆様は驚かれるかもしれませんが、
実際に浄土真宗の宗祖、親鸞聖人は「自分が命を終えたら遺体を鴨川に流せ」と弟子達に伝えていたそうです。

 

親鸞、閉眼せば、賀茂河にいれて魚に与うべし。

『改邪鈔(がいじゃしょう)』

 

 このように、葬儀を行う宗教的な根拠は全くありません。
現代においては、合理性を重視し遺体の処理だけに着目するなら「直葬」という形が最も理にかなっているのかもしれません。

 では、以上を理由に冒頭の質問に対して「葬儀や法事など仏事をやらなくても全く問題ありません」と答えるのが一番良い答えでしょうか?

 

 私は全くそう思いません。

 

なぜなら、葬儀や法事というのは残された人達のために行うべきものだからです。

例えば、先ほどの親鸞聖人の例を元に考えてみましょう。

親鸞聖人のご遺体は本当に鴨川に流されたのでしょうか?

親鸞聖人との別れに悲しんでいる弟子たちがそのような事するわけがありません。

親鸞聖人の葬儀は行われ、ご遺体は火葬されて、遺骨は京都の大谷の地に埋葬され、ご遺族によって大切に護持されることとなりました。

 葬儀や法要というのは私たちが大切な人との別れを受け入れ、悲しみを乗り越えていく大切な儀式です。
 そして、大切な人との別離の悲しみを通して、自分達もいつか同じように命を終えていく身である事を改めて受け入れること。
 また、命を終えたら私たちはどうなるのか、仏教の教えに触れる現代においては重要な機会です。

 つまり、大切なことは、葬儀や法要というのは残された私たちのために行うものだということです。

 「お葬式や法事ってやらないといけないんですか?」
冒頭の質問に対して、私は今までこのように答えてきました。

「やらなければいけないものではありません。合理性だけを追求するなら葬儀や法事は不要です。ただ合理性だけを追求することが本当に幸せでしょうか?葬儀や法要は残された私たちのために行うものです。後からやらずに後悔するよりも、規模を小さくするなど無理なくできる範囲でやられた方が良いと思います。」

 社会は合理性を追求していますが、それが必ずしも私たちを幸せにするわけではありません。大切な人との別れにどう向き合うか、それぞれの心で感じ、考えていくべきです。

 私も僧侶として、社会の流行に流されず、常に考えながら本当に大切なことを守り続ける僧侶でありたいものです。

今後ともよろしくお願い致します。

善光寺 副住職