善光寺へお問い合わせを考えている方へ〜連絡方法についてのお知らせです〜

より皆様へ丁寧なご対応をさせて頂くためのご連絡です

皆様、大変お世話になっております。
善光寺副住職でございます😊
いつも善光寺のホームページをご覧いただきまして、誠にありがとうございます🙇

ホームページを開設し、半年以上が経過しました。
あまり更新頻度は高くありませんが多くの方々にご覧頂いているようで大変嬉しいです。
心よりお礼申し上げます。

ありがたいことに、ホームページを経由して多くの方からお問い合わせを頂いております。

現在お寺への連絡方法として、電話・メール・LINEがございます。


皆様のご都合の良い連絡方法でお問い合わせいただければと思いますが、
日中は法務でお寺にいない事が多いため、お電話でのお問い合わせを希望の方はお寺の固定電話ではなく、副住職の携帯(090-9891-9541)にお電話頂けましたら幸いです。
お電話に出れなかった場合は、なるべく早く折り返しご連絡させて頂きます。


また、急ぎのご相談ではない方は善光寺公式LINEメールアドレス宛にご連絡いただけますと、より確実に丁寧を回答させて頂けます。

公式LINEはホームページ最下部のLINEのアイコンのボタンから、メールアドレスはホームページ最下部に載っているアドレス(zenkoji.nagoya@gmail.com)からご連絡いただけます。

前述した通り、日中は法務に出ているためお電話に出れない事が多いため、公式LINEやメールアドレスでご連絡頂けますと幸いです。


ちょっとした仏事の相談事でもお気軽にご連絡ください。

皆様のお問い合わせをお待ちしております😊

善光寺 副住職

副住職コラム③〜浄土真宗の御利益とは何か〜

浄土真宗に触れると人生がどう変わっていくのか 
浄土真宗に興味のある方は最後までお読み頂けると幸いです。

皆様お世話になっております。
善光寺副住職でございます。

本日は久しぶりのコラム更新となります。

前回のコラムはこちらからご覧ください。

今回はタイトルにもある「浄土真宗の御利益」というテーマについてお話しさせて頂きたいと思います。

皆様、突然ですが御利益というとどのようなイメージを持つでしょうか?

まず、一般的な「御利益」とは
・商売繁盛
・良縁成就
・学業成就
・開運厄除
などが一般的だと思います。

「もっとお金持ちになりたい」

「素敵な恋人が欲しい」

「志望校に合格したい」

「周囲に認められたい」

私達が日々の生活を送る中で、誰もが願う幸せのかたちとして、これらを求めることは自然なことかもしれません。

しかし、残念ながら浄土真宗では、このような御利益はありません。

浄土真宗の教えに触れお念仏申す日々を歩んだからといって、急に人生が好転するわけではありません。
厳しい言い方になるかもしれませんが、浄土真宗の教えに触れても目の前の現実は何も変わりません。

では改めて、浄土真宗の御利益とは一体何でしょうか?

それは一言でいうと「死ぬことの意味が全く変わる」という事に尽きると私は思います。

一昔前、ビジネス書界隈でこのような本が大変流行しました。

この本は私も読んだことがあり、内容自体は心に響く部分もありました。
良い本だと思います。

この本が大ヒットした影響で、一時期ビジネス書界隈では「死ぬこと以外かすり傷」という言葉がとても流行りました。

しかし、私自身は「死ぬこと以外かすり傷」という言葉には違和感を覚えました。

それはなぜか?

それは人はいつか必ず死ぬからです

「死ぬこと以外はかすり傷」というこの言葉の裏には「死ぬ事は致命傷」という意味もあると感じました。

この言葉の背景には「死んだら終わり」「死んだら何もない」という価値観があるのではないかと思います。
この本の影響で「死ぬ事以外はかすり傷」という言葉が若い世代で流行っていた事を考えると「死んだら何もない」という価値観が多くの人に浸透しているのではないかと思いました。

「死んだら何もない」という価値観が背景にあるのか、一般的にはこの世で命を終えることを死して去ると書いて「死去」するという言葉が使われていると思います。

しかし、浄土真宗では命終える事を死去するとは言いません。

では、浄土真宗で命終えることをなんというでしょうか?

それは仏様の世界に往き生まれると書いて「往生」すると言います。

私達は命終えたらそれで終わりではございません。


この世で命を終えるという事は同時に、阿弥陀如来様に導かれ仏様として新たな命を頂き生まれます。

この世で命を終えるという事は仏様の世界で新たな命を頂くという事です。

「死去」という価値観から「往生」という価値観に変わっていく事。

この変化が浄土真宗の最大の御利益だと私は思います。

なぜなら、死ぬ事は誰もが避けては通れない、いつか必ず経験する事だからです。

そして、この避けられない「死」という現実に対する見方が変わるという事は大きな御利益と言えるのではないでしょうか?

  • この世で命を尽きて終わりではない。仏様の世界でまた新たな命が始まる。
  • 大切な人とこの世で別れてもまた必ず仏様の世界で再会できる。

冒頭にもお伝えした通り、
この浄土真宗の教えに触れても目の前の現実自体は何も変わりません。

しかし、厳しい現実を生き抜く上での生き方は大きく変わるのではないでしょうか?

「死んだら終わり」と考えている人と「命終えたら必ず仏の世界に生まれ新たな命を頂く」と考えている人、両者の生き方には大きな差があると私は思います。

このように、浄土真宗の御利益は目の前の現実を大きく変えるものではありません。
しかし、人生で避けることのできない「死」という現実に対する見方を変え、私たちの生き方の根底を支える大きな力になると私は思います。

最後に、お読みいただいた皆様へ。

阿弥陀如来様は、煩悩にまみれた私たち全員を必ず救おうといつも働きかけてくださっておられます。

この浄土真宗の教えに触れ、興味を持って頂いた方々におかれましては阿弥陀如来様への感謝の気持ちを込めて「南無阿弥陀仏」とお念仏申して頂きたいと思います。

これからもお念仏申し心豊かな生活を共に歩んで参りましょう。

最後までお読み頂きありがとうございました。

善光寺 副住職

【報恩講のご案内】〜最も大切な行事のご案内です〜

ご都合の合う方はどなたでも是非お参りください

善光寺門信徒の皆様へ

いつも大変お世話になっております。
善光寺副住職でございます😊

本日は皆様に来月善光寺にて執り行う「報恩講」という行事のご案内をさせて頂きます。

■ 日時:11月14日(木)10:00~12:00

■ 会場:善光寺本堂

■ 内容:

  1. 報恩講法要
  2. 特別法話 講師:山田智敬 師 (三重県津市存仁寺)

■ その他:

  • 法要後、御斎(おとき)は持ち帰りとさせて頂きます。
  • 駐車場は可能な限り第二駐車場、第三駐車場をご利用ください。  

「報恩講」という行事は、宗祖・親鸞聖人の遺徳を偲ぶ、一年最も大切な法要です。

法要は他のお寺様もお呼びしご一緒にお勤めさせて頂きます。


法話は布教使という浄土真宗本願寺派では特別な資格を持った先生をお呼びし1時間ほど法話を賜ります。

このように大変特別な法要になります。

ご都合の合う方は是非お参りいただけましたら幸いです😊


 
ご質問やご不明な点がございましたら、いつでもお気軽にお問い合わせください。

皆様のご参拝を心よりお待ち申し上げております。

合掌

善光寺 副住職

盂蘭盆会(お盆の法要)にお参り頂きました皆様へ

無事にお盆の法要を執り行う事ができました。
お参り頂きました皆様本当にありがとうございました。

お世話になっております。

善光寺副住職でございます。

先日、皆様にお知らせ致しました盂蘭盆会につきまして、無事に法要を執り行う事ができた事を報告致します。


※お知らせの記事は以下からご覧ください

 今年も無事に8/12 8/13の二日間に渡り、盂蘭盆会を執り行う事ができました。

 大変お暑い中お参り頂きました皆様、並びに懇志を納めて頂きました皆様におかれましては心よりお礼申し上げます。

 二日間とも晴天にも恵まれて、本堂が満員になる程多くの方にお参り頂きました。

 皆様に心よりお礼申し上げます。

 これからも皆様から応援して頂けるお寺を目指し、日々精進してまいります。

 お参りいただきました皆さま、本当にありがとうございました

 今後ともよろしくお願い申し上げます

 善光寺 副住職

盂蘭盆会(お盆の法要)のご案内

お盆期間中に善光寺にお参り頂く予定の方は是非ご一読ください

 お世話になっております。
 善光寺副住職でございます。

 最近とても暑くなってきた事もあり、善光寺の門信徒の方の中でも体調崩される方が非常に増えております。

 体調に気をつけてこの夏を乗り越えて行きましょう!

 さて、本日は表題のお盆の法要につきましてご連絡させて頂きます。

 今年も例年通り、8月12日、8月13日の15時より善光寺本堂にてお盆の法要を執り行います。

 以下の行事の詳細の画像をご覧ください。

 

こちらの案内を確認して頂きたいと思います。

そして当日の法要に参拝して頂ける皆様に2点お願い申し上げます。

①ふりがなをつけて頂くこと
懇志を納めて頂いた場合、故人様の法名、施主様のお名前を法要中にお読みさせて頂きます。
そのため故人様の法名、施主様のお名前に必ずふりがなをつけて頂きますようお願い申し上げます。

②駐車場につきまして
お盆期間中は大変混雑する事が予想されます。
そのためお盆期間中にお車で参拝して頂ける方におかれましては可能な限り第二駐車場をご利用頂きますようお願い申し上げます。
第二駐車場の場所はホームページからご確認頂けます。お時間ある時にご確認いただけましたら幸いです。駐車場の写真も載せておきますのでご確認お願い申しあげます。



これから私達もお盆の法要に向けて全力で準備をして参ります。

今年のお盆も皆様にお会いできる事を楽しみにしております。
皆様の来寺を心よりお待ちしております。

善光寺 副住職

副住職コラム②現代における葬儀や法要の意義〜なぜ私たちは葬儀を行うのか〜

 葬儀や法事など仏事を行うか迷われている方は是非最後までお読みください

 

 私が善光寺で副住職としてお勤めをさせて頂くようになり今年で5年目になります。


この5年間の中で多くの方から仏事に関する相談を受けてまいりました。


そして、その中でここ数年で最も多い質問が冒頭に挙げた
「お葬式や法事ってやらないといけないんですか?」という質問です。

 

 その質問の背景には、合理性を追求する近年の社会の流れがあるのかもしれません。


お通夜や初七日法要を省略して葬儀だけを行う「一日葬」や
葬儀さえも省略した「直葬」も近年多くなってきております。

 そして葬儀不要論を提唱する宗教学者の島田 裕巳さんが2010年にこちらの本を出版し、多くの反響がありました。

葬式は、要らない (幻冬舎新書 し 5-3) 新書 – 2010/1/28

島田 裕巳 (著)

こちらの本では現代の葬儀のあり方を批判し、簡素化するべきだという主張がされています。

また、こちらの本にも書かれているとおり、葬儀を行う歴史的根拠はありません。

 この記事を読んでいる皆様は驚かれるかもしれませんが、
実際に浄土真宗の宗祖、親鸞聖人は「自分が命を終えたら遺体を鴨川に流せ」と弟子達に伝えていたそうです。

 

親鸞、閉眼せば、賀茂河にいれて魚に与うべし。

『改邪鈔(がいじゃしょう)』

 

 このように、葬儀を行う宗教的な根拠は全くありません。
現代においては、合理性を重視し遺体の処理だけに着目するなら「直葬」という形が最も理にかなっているのかもしれません。

 では、以上を理由に冒頭の質問に対して「葬儀や法事など仏事をやらなくても全く問題ありません」と答えるのが一番良い答えでしょうか?

 

 私は全くそう思いません。

 

なぜなら、葬儀や法事というのは残された人達のために行うべきものだからです。

例えば、先ほどの親鸞聖人の例を元に考えてみましょう。

親鸞聖人のご遺体は本当に鴨川に流されたのでしょうか?

親鸞聖人との別れに悲しんでいる弟子たちがそのような事するわけがありません。

親鸞聖人の葬儀は行われ、ご遺体は火葬されて、遺骨は京都の大谷の地に埋葬され、ご遺族によって大切に護持されることとなりました。

 葬儀や法要というのは私たちが大切な人との別れを受け入れ、悲しみを乗り越えていく大切な儀式です。
 そして、大切な人との別離の悲しみを通して、自分達もいつか同じように命を終えていく身である事を改めて受け入れること。
 また、命を終えたら私たちはどうなるのか、仏教の教えに触れる現代においては重要な機会です。

 つまり、大切なことは、葬儀や法要というのは残された私たちのために行うものだということです。

 「お葬式や法事ってやらないといけないんですか?」
冒頭の質問に対して、私は今までこのように答えてきました。

「やらなければいけないものではありません。合理性だけを追求するなら葬儀や法事は不要です。ただ合理性だけを追求することが本当に幸せでしょうか?葬儀や法要は残された私たちのために行うものです。後からやらずに後悔するよりも、規模を小さくするなど無理なくできる範囲でやられた方が良いと思います。」

 社会は合理性を追求していますが、それが必ずしも私たちを幸せにするわけではありません。大切な人との別れにどう向き合うか、それぞれの心で感じ、考えていくべきです。

 私も僧侶として、社会の流行に流されず、常に考えながら本当に大切なことを守り続ける僧侶でありたいものです。

今後ともよろしくお願い致します。

善光寺 副住職

【重要なご連絡】善光寺公式LINEを開設致しました

お世話になっております。

善光寺副住職でございます。

この度、皆様からより一層お気軽にご連絡が頂けるように
善光寺LINE公式アカウントを開設致しました




皆様下記のリンクもしくはQRコードよりご登録ください

https://lin.ee/x8E42oa

※こちらから読み取れない場合、お手数ですがホームページの下部のLINEのアイコンのボタンから友達追加して頂く事が可能です

ぜひ皆様友達追加して頂きますようお願い申し上げます

例えば、
「仏事のことで相談したい」


「法事や月参りの予約、変更の連絡をしたい」


「善光寺の檀家ではないけど相談してみたい」

など皆様が善光寺に連絡したい時は是非お気軽にLINEでご連絡ください。

また連絡手段としてだけでなく、

行事の案内やHP記事の更新のお知らせや年忌のご案内など皆様にとって有益な情報を随時配信してまいります。

皆様の友達追加を心よりお待ちしております

善光寺 副住職

副住職 コラム① GW東京日帰り旅行      特別展「法然と極楽浄土」を鑑賞してきました

仏教に興味のある方は是非鑑賞する事をオススメします

 

 お世話になっております。善光寺副住職でございます。
 皆様GWはいかがでしたでしょうか?
 楽しい思い出を作られた方もたくさんいらっしゃる事かと思います。
 私は一日お休みを頂き東京観光に行って参りました。


 そして東京国立博物館にて「法然と極楽浄土」という特別展を鑑賞しました。

 

 この特別展の詳しい概要はこちらからご覧いただけます。

https://tsumugu.yomiuri.co.jp/honen2024-25

 

 浄土真宗の宗祖は言うまでもなく親鸞聖人でございますが、
その親鸞聖人にお念仏の教えを教えられた方が、
今回の特別展で取り上げられている浄土宗の宗祖 法然聖人でございます。

 つまり親鸞聖人は法然聖人のお弟子だったという事です。

 

 この展示展は浄土宗の成り立ちや教えが示された文化財が数多く展示されておるわけでございますが、
浄土真宗の教えを学ぶ上でも非常に勉強になる素晴らしい展示展だと私は思いました。

 

 中でも圧巻が香川の法然寺から出陣されたお釈迦様の涅槃像です。

※こちらの涅槃像だけ撮影が許可されています。

 

 

 この涅槃像の全長は約3メートル。
 ここまで立体的に表された涅槃像は他には無いそうです。
 

 

 そして何よりも私が一番注目したのが表情です。

 

 涅槃に入られたお釈迦様はよく見ると大変穏やかな表情をされています。
 その一方、周囲の弟子達は大変悲しそうな表情をされています。
 

 この表情の違いが、
 苦しみのない仏の世界と一切皆苦と言われている人間の世界の対比を表しているのではないかと私は考察しました。


 

 お釈迦様は人間の避けられない苦しみの一つで「愛別離苦」という苦しみを挙げられました。
 

 お釈迦様の死を悲しむ弟子達のように、私たち人間は大切な人や愛する人ともいつか必ずお別れをしなくてはなりません。
 お釈迦様の時代から、人間の苦しみは現在まで変わって無い部分が多いんだなと改めて思いました。

 

 この特別展は非常に勉強になりますので、皆様にも是非オススメです!
 

 ※現在は東京の国立博物館で展示されていますが、
 今年の10月8日〜12月1日まで京都国立博物館で展示されるそうです。
 

 名古屋にお住まいの方はそのタイミングで行かれた方が良いかもしれません。

 

 また次回もよろしくお願いします!

 

 善光寺 副住職

 

 おまけ①〜築地本願寺にもお参りしてきました〜

 

 浄土真宗本願寺派 西本願寺において東京で最も有名な築地本願寺に行ってきました。

築地本願寺では観光客の方も含めたくさんの方が参拝されていました。

 また、築地本願寺では定期的に法話が開催されています。
 私もお聴聞して参りました。

 

 若手布教師として大変有名な福岡智哉氏のご法話を聴聞して参りました。
 

 「信心正因 称名報恩」について学ばせて頂きました。

 大変わかりやすくとても勉強になりました。

 
 私が参加した回もYOUTUBEのアーカイブに残っておりましたので載せておきます。

 

 下の動画は私が参加した回の法話です。

27:55頃からお話が始まります!

 本当に素晴らしいお話でしたので、お時間のある方は是非ご視聴ください!

 オマケ②東京オススメの下町〜亀有に行ってきました〜

私が大学時代過ごした第二の故郷でもある葛飾区亀有に遊びに行ってきました!


写真は亀有駅前の両津勘吉像です。

特に何かがあるわけではございませんが人情味溢れる大変暖かい町です!

そしてもし亀有に行かれたら、亀有メンチというお店が非常にオススメです!

https://tabelog.com/tokyo/A1324/A132403/13118480

商店街にある小さなお店ですが人情味溢れる優しいお店です!

 メンチカツとハイボールが絶品です!
 特にチーズメンチカツが本当に美味しいです!

 ※冷凍販売もしているみたいなので興味のある方はオススメです!

 亀有に行くことが是非行ってみてください!

 

 また今後とも更新して参りますのでよろしくお願いします。

 善光寺 副住職

副住職ミニ法話②〜理不尽な人間関係に悩んでいる方へ〜お釈迦様からのメッセージ

一切皆苦という教えから学ぶべき私達の生き方

 

お世話になっております。善光寺副住職でございます。

世間ではゴールデンウィークですね。この時期は交通量の増加により、交通事故が多発しております。この動画にあるように、悲しい死亡事故が全国各地で起きています。

 

 

私も「家に帰るまでが遠足」という言葉を胸に、外出する際は最後まで安全運転を心がけていきたいものです。皆様もどうか渋滞に巻き込まれても安全運転を心がけて参りましょう。

 さて、本日は2回目のミニ法話となります。前回のミニ法話はこちらからご覧ください。

 

 私は日々僧侶として活動している中で、皆様からよく人生相談を頂きます。
 皆様それぞれに様々な悩みがあると思います。
 しかし、多くの悩みに共通する悩みがあると思います。
 

 

 それは間違えなく「人間関係」に関わるものです。


 

 例えば、学生の方の場合、悩みの内容はクラスや部活動の人間関係に基づくものがほとんどです。
 社会人の方の場合、上司や同僚、取引先の方との人間関係などがほぼ全てです。

 

 そして人間関係の悩みの中でも多いのが、立場が上の人との関係性です。


 

 誰しもが、目上の人から理不尽な事を言われ、拳を握り締め我慢した経験があると思います。
 理不尽な言葉を飲み込み我慢するというのは想像を絶するストレスだと思います。
 世の中は理不尽であるとはいえ、とても悔しい気持ちだったと思います

 

 

 このような理不尽な目にあった時、一体どうすれば良いのでしょうか。

 

 仏教的に考えてみましょう。
 

 

 まず、理不尽な相手に言い返す事は推奨できません。
 お釈迦様は次のような言葉を残されています。

 

 実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。

中村 元. ブッダの 真理のことば 感興のことば (Japanese Edition) (Kindle の位置No.76-79). Kindle 版

 

 この言葉を解説すると、「この世において怨みは怨みによって静まるのではなく、怨みを忘れることによってのみ静まる」という意味です。

 

 もし、相手の理不尽さに対し怒りをぶつければ、その怒りは相手に伝わります。理不尽な相手に対して怒りを手放すことが一番の解決策になるとお釈迦様は仰っているわけです。

 

 

 しかし、これは頭ではわかっていても実践するのは非常に困難なことだと思います。
 その上で役に立つ教えが「一切皆苦」という言葉です。

 

 

 この一切皆苦という言葉は「この世の全ての事は何一つ思い通りになる事はない」という意味でございます。
  当たり前のように聞こえますが、全て自分の思うがままにできることなど何一つございません。
 例えば、宝くじは買っても中々当選しません。急いで運転している時に限って渋滞に巻き込まれる事もあります。
 

 

 この世の中には自分の思い通りなることなど何一つありません。

 

 

 しかし、この言葉をもっと深く考えてみましょう。
 物事に対して思い通りにならないという不満足な心を持っているのは誰でしょうか?
 

 

 それは自分自身です。
 物事に期待して、その期待が叶わないと不満足な心を持ってしまうのが人間です。
 

 

 もしかすると宝くじが当たるかもしれない、渋滞に巻き込まれずに目的地に早く着くかもしれない。
 思い通りにならないことに対して期待する心が不満足な心の原因でしょう。
 

 

 つまり、一切皆苦という言葉には
思い通りにならない世の中に対して、自分の思い通りにできると期待する思い上がった自分自身の心が苦しみを生んでいる」と捉える事ができます。
 

 

 期待すればするほど、その期待が裏切られた時には苦しむことになります。

  

 この世の全ての事は思い通りになりません。
 

 「一切皆苦」という言葉を胸に、理不尽な相手に期待することはやめましょう。
 相手は変えられません。
 

 むしろ、思い通りにならない相手から思い通りにならない理不尽さが降りかかってくるのも、一切皆苦という教えで考えれば仕方ないことだと思えるでしょう。

 

 私たちが生きていくこの世界は理不尽なことで溢れています。
 生きていく上で、理不尽な人間関係からは逃れられません。

 

 

 よほど理不尽なことでない限り、深く考えずにさらりと流しましょう。
 理不尽なことに対して、深く考えて良い事は何一つないと思います。

 

 「一切皆苦」という言葉を胸に、物事に期待する自分自身の思い上がった心をなるべく抑えて、思い通りにならないこの世界を、気を楽にして生きて参りましょう。

 善光寺 副住職

 

 おまけ① 一切皆苦を扱った動画

皆様にわかりやすく一切皆苦を伝えている動画を探しましたが見つかりませんでした。
僧侶の方が説明している動画はどれも一般の方には難しいと思いました。
しかし、仏教系お笑い芸人さんのみほとけさんが「一切皆苦」をネタにした動画を挙げていました。一切皆苦に興味を持った方にはオススメの動画です。

 

この動画を見て頂くと、「世の中は思い通りにならない事で溢れている」事が面白い要素満載でわかると思います。

 

 

 おまけ② 記事で使った本

 記事の途中でお釈迦様の言葉をこちらの本から引用しました。

 非常に難しい本になりますので、一般の方にはオススメできません。
 しかし、辞書のように使う分には大変便利ですので、一般の家庭にも一冊はあっても良いのかなと思いました。

また次回の投稿もよろしくお願いします!

書籍紹介② 「小さな幸せの見つけ方」(アルファポリス)著者:大來 尚順

 仏法を日常生活で実践する上で非常に参考になる良書です

 皆様お世話になっております。善光寺副住職でございます。

以前、書籍紹介の記事を投稿させて頂きました。

 今回の記事は以前の投稿に引き続き、書籍紹介の第二弾の記事となります。

 今回紹介させて頂く本も、私が自信を持って浄土真宗の門信徒の皆様にオススメできる良書です。どうか最後まで読んで頂けたら嬉しいです。

 

 今回の書籍紹介の前に、ご紹介させて頂きたい記事がございます。

 こちらの記事は私が作ったミニ法話です。
 まずこちらの記事を是非読んで頂きたいと思います。
 

 こちらの記事で、私達は蓮如上人が残された言葉「聖教読まずの聖教読み」を目指すべきだというお話をしました。
 つまり、仏法を知識として溜め込むのではなく、仏法を日常生活に落とし込み、心豊かな生活を歩む事が大切だという事です。仏法が心に生きているかどうかが重要です。

 その上で、「聖教読まずの聖教読み」を心がけ、心豊かな人間を目指す私達にとって非常に参考になるのが今回紹介させて頂くこの本です。

「小さな幸せの見つけ方」 (アルファポリス) 著者:大來 尚順

 著者の大來尚順氏は浄土真宗本願寺派の僧侶として活動されている傍ら、海外での経験を活かして翻訳に仕事などもされていらっしゃいます。

 この本では仏教の教えに基づいて、日常生活の中の小さな幸せに気づく事、幸せな生き方について考えられた本です。

 この本の素晴らしい点は、仏教用語がほとんど使われていないという事です。
にもかかわらず仏教の教えがふんだんに盛り込まれています。

 つまり私たちが仏教の教えをすんなりと日常生活に落とし込む事ができるように、この本ではとにかくわかりやすく仏教の教えが書かれています。

 例えば、本書23ページにはこのように記されています。

目まぐるしい日々の生活に追われ、自分が余計なことばかりに気を取られすぎていて「本来自分が集中すべきことを大切にしていない」と反省させられました。


「小さな幸せの見つけ方」 (アルファポリス) 著者:大來 尚順

 これは、恐らく仏教の八正道の正念という教えから導き出した教えだと考えられます。

 その他にも、例えば93ページにはこのように記されています。

 

実は世の中は私たちを支えてくれている思いで溢れています。そういう意味では、誰も孤独ではないのです


「小さな幸せの見つけ方」 (アルファポリス) 著者:大來 尚順

 これは仏教の縁起という教えから考えられた言葉だと思います。

 他にも直接言葉としては書かれていませんが、
対人関係に悩んだ時には和顔愛語、人との比較で悩んだ時には少欲知足など
仏教の教えが日常生活に溶け込むように、とにかくわかりやすく書かれております。

 仏教の教えを通して日々の生活を見直し、幸せとは何かについて考える。そして身近な幸せを発見していく。それが本書のテーマです。

 そして、この本書のテーマこそが冒頭でもお伝えした「聖教読まずの聖教読み」につながるのではないでしょうか。

 大切なことは仏教をただ知識として知っているのではなく、仏教の教えに基づいて心豊かな人間になることを目指して人生を歩んでいくことです。

 これから仏法を学ぶ方、日常生活で仏法を実践したい方、人生に悩まれている方、幸せとは何か悩まれている方は是非本書を読んで頂きたいと思います。

 私自身、日常生活で仏法を実践しながら、心豊かな人間に近づきたいと願うばかりです。

 善光寺 副住職