浄土真宗に触れると人生がどう変わっていくのか
浄土真宗に興味のある方は最後までお読み頂けると幸いです。
皆様お世話になっております。
善光寺副住職でございます。
本日は久しぶりのコラム更新となります。
前回のコラムはこちらからご覧ください。
今回はタイトルにもある「浄土真宗の御利益」というテーマについてお話しさせて頂きたいと思います。
皆様、突然ですが御利益というとどのようなイメージを持つでしょうか?
まず、一般的な「御利益」とは
・商売繁盛
・良縁成就
・学業成就
・開運厄除
などが一般的だと思います。
「もっとお金持ちになりたい」
「素敵な恋人が欲しい」
「志望校に合格したい」
「周囲に認められたい」
私達が日々の生活を送る中で、誰もが願う幸せのかたちとして、これらを求めることは自然なことかもしれません。
しかし、残念ながら浄土真宗では、このような御利益はありません。
浄土真宗の教えに触れお念仏申す日々を歩んだからといって、急に人生が好転するわけではありません。
厳しい言い方になるかもしれませんが、浄土真宗の教えに触れても目の前の現実は何も変わりません。
では改めて、浄土真宗の御利益とは一体何でしょうか?
それは一言でいうと「死ぬことの意味が全く変わる」という事に尽きると私は思います。
一昔前、ビジネス書界隈でこのような本が大変流行しました。
この本は私も読んだことがあり、内容自体は心に響く部分もありました。
良い本だと思います。
この本が大ヒットした影響で、一時期ビジネス書界隈では「死ぬこと以外かすり傷」という言葉がとても流行りました。
しかし、私自身は「死ぬこと以外かすり傷」という言葉には違和感を覚えました。
それはなぜか?
それは人はいつか必ず死ぬからです
「死ぬこと以外はかすり傷」というこの言葉の裏には「死ぬ事は致命傷」という意味もあると感じました。
この言葉の背景には「死んだら終わり」「死んだら何もない」という価値観があるのではないかと思います。
この本の影響で「死ぬ事以外はかすり傷」という言葉が若い世代で流行っていた事を考えると「死んだら何もない」という価値観が多くの人に浸透しているのではないかと思いました。
「死んだら何もない」という価値観が背景にあるのか、一般的にはこの世で命を終えることを死して去ると書いて「死去」するという言葉が使われていると思います。
しかし、浄土真宗では命終える事を死去するとは言いません。
では、浄土真宗で命終えることをなんというでしょうか?
それは仏様の世界に往き生まれると書いて「往生」すると言います。
私達は命終えたらそれで終わりではございません。
この世で命を終えるという事は同時に、阿弥陀如来様に導かれ仏様として新たな命を頂き生まれます。
この世で命を終えるという事は仏様の世界で新たな命を頂くという事です。
「死去」という価値観から「往生」という価値観に変わっていく事。
この変化が浄土真宗の最大の御利益だと私は思います。
なぜなら、死ぬ事は誰もが避けては通れない、いつか必ず経験する事だからです。
そして、この避けられない「死」という現実に対する見方が変わるという事は大きな御利益と言えるのではないでしょうか?
- この世で命を尽きて終わりではない。仏様の世界でまた新たな命が始まる。
- 大切な人とこの世で別れてもまた必ず仏様の世界で再会できる。
冒頭にもお伝えした通り、
この浄土真宗の教えに触れても目の前の現実自体は何も変わりません。
しかし、厳しい現実を生き抜く上での生き方は大きく変わるのではないでしょうか?
「死んだら終わり」と考えている人と「命終えたら必ず仏の世界に生まれ新たな命を頂く」と考えている人、両者の生き方には大きな差があると私は思います。
このように、浄土真宗の御利益は目の前の現実を大きく変えるものではありません。
しかし、人生で避けることのできない「死」という現実に対する見方を変え、私たちの生き方の根底を支える大きな力になると私は思います。
最後に、お読みいただいた皆様へ。
阿弥陀如来様は、煩悩にまみれた私たち全員を必ず救おうといつも働きかけてくださっておられます。
この浄土真宗の教えに触れ、興味を持って頂いた方々におかれましては阿弥陀如来様への感謝の気持ちを込めて「南無阿弥陀仏」とお念仏申して頂きたいと思います。
これからもお念仏申し心豊かな生活を共に歩んで参りましょう。
最後までお読み頂きありがとうございました。
善光寺 副住職