【行事のお知らせ】春季永代教のご案内

善光寺門信徒の皆様へ

お世話になっております。
善光寺副住職でございます。

春の訪れとともに、今年も春季永代経法要を開催いたします。

永代教という行事は、私たちのご先祖様、代々続いて伝えてきてた浄土真宗の教えを聴く法要です。

浄土真宗の開祖、親鸞聖人を初め、蓮如聖人、七高僧の方々など、多くの方のおかげで、今の私たちが浄土真宗の教えに出会えました。

この代々伝わってきた浄土真宗の教えが、また未来へと繋がっていくように心込めて法要を執り行います。

詳細は以下の画像をご確認ください

4月14日(月)午前10時から善光寺本堂にて法要を執り行います。

今年も昨年と同じように、住職と私副住職でお勤めを行い、ご法話をさせて頂きます。

昨年の様子は以下の記事をご覧ください。

今年もお気持ちを込めて法要を執り行います。

ご都合の合う方は是非ご参拝いただけましたら幸いです。

皆様のご参拝を心よりお待ちしております。

善光寺 副住職

副住職コラム③〜浄土真宗の御利益とは何か〜

浄土真宗に触れると人生がどう変わっていくのか 
浄土真宗に興味のある方は最後までお読み頂けると幸いです。

皆様お世話になっております。
善光寺副住職でございます。

本日は久しぶりのコラム更新となります。

前回のコラムはこちらからご覧ください。

今回はタイトルにもある「浄土真宗の御利益」というテーマについてお話しさせて頂きたいと思います。

皆様、突然ですが御利益というとどのようなイメージを持つでしょうか?

まず、一般的な「御利益」とは
・商売繁盛
・良縁成就
・学業成就
・開運厄除
などが一般的だと思います。

「もっとお金持ちになりたい」

「素敵な恋人が欲しい」

「志望校に合格したい」

「周囲に認められたい」

私達が日々の生活を送る中で、誰もが願う幸せのかたちとして、これらを求めることは自然なことかもしれません。

しかし、残念ながら浄土真宗では、このような御利益はありません。

浄土真宗の教えに触れお念仏申す日々を歩んだからといって、急に人生が好転するわけではありません。
厳しい言い方になるかもしれませんが、浄土真宗の教えに触れても目の前の現実は何も変わりません。

では改めて、浄土真宗の御利益とは一体何でしょうか?

それは一言でいうと「死ぬことの意味が全く変わる」という事に尽きると私は思います。

一昔前、ビジネス書界隈でこのような本が大変流行しました。

この本は私も読んだことがあり、内容自体は心に響く部分もありました。
良い本だと思います。

この本が大ヒットした影響で、一時期ビジネス書界隈では「死ぬこと以外かすり傷」という言葉がとても流行りました。

しかし、私自身は「死ぬこと以外かすり傷」という言葉には違和感を覚えました。

それはなぜか?

それは人はいつか必ず死ぬからです

「死ぬこと以外はかすり傷」というこの言葉の裏には「死ぬ事は致命傷」という意味もあると感じました。

この言葉の背景には「死んだら終わり」「死んだら何もない」という価値観があるのではないかと思います。
この本の影響で「死ぬ事以外はかすり傷」という言葉が若い世代で流行っていた事を考えると「死んだら何もない」という価値観が多くの人に浸透しているのではないかと思いました。

「死んだら何もない」という価値観が背景にあるのか、一般的にはこの世で命を終えることを死して去ると書いて「死去」するという言葉が使われていると思います。

しかし、浄土真宗では命終える事を死去するとは言いません。

では、浄土真宗で命終えることをなんというでしょうか?

それは仏様の世界に往き生まれると書いて「往生」すると言います。

私達は命終えたらそれで終わりではございません。


この世で命を終えるという事は同時に、阿弥陀如来様に導かれ仏様として新たな命を頂き生まれます。

この世で命を終えるという事は仏様の世界で新たな命を頂くという事です。

「死去」という価値観から「往生」という価値観に変わっていく事。

この変化が浄土真宗の最大の御利益だと私は思います。

なぜなら、死ぬ事は誰もが避けては通れない、いつか必ず経験する事だからです。

そして、この避けられない「死」という現実に対する見方が変わるという事は大きな御利益と言えるのではないでしょうか?

  • この世で命を尽きて終わりではない。仏様の世界でまた新たな命が始まる。
  • 大切な人とこの世で別れてもまた必ず仏様の世界で再会できる。

冒頭にもお伝えした通り、
この浄土真宗の教えに触れても目の前の現実自体は何も変わりません。

しかし、厳しい現実を生き抜く上での生き方は大きく変わるのではないでしょうか?

「死んだら終わり」と考えている人と「命終えたら必ず仏の世界に生まれ新たな命を頂く」と考えている人、両者の生き方には大きな差があると私は思います。

このように、浄土真宗の御利益は目の前の現実を大きく変えるものではありません。
しかし、人生で避けることのできない「死」という現実に対する見方を変え、私たちの生き方の根底を支える大きな力になると私は思います。

最後に、お読みいただいた皆様へ。

阿弥陀如来様は、煩悩にまみれた私たち全員を必ず救おうといつも働きかけてくださっておられます。

この浄土真宗の教えに触れ、興味を持って頂いた方々におかれましては阿弥陀如来様への感謝の気持ちを込めて「南無阿弥陀仏」とお念仏申して頂きたいと思います。

これからもお念仏申し心豊かな生活を共に歩んで参りましょう。

最後までお読み頂きありがとうございました。

善光寺 副住職

副住職 コラム① GW東京日帰り旅行      特別展「法然と極楽浄土」を鑑賞してきました

仏教に興味のある方は是非鑑賞する事をオススメします

 

 お世話になっております。善光寺副住職でございます。
 皆様GWはいかがでしたでしょうか?
 楽しい思い出を作られた方もたくさんいらっしゃる事かと思います。
 私は一日お休みを頂き東京観光に行って参りました。


 そして東京国立博物館にて「法然と極楽浄土」という特別展を鑑賞しました。

 

 この特別展の詳しい概要はこちらからご覧いただけます。

https://tsumugu.yomiuri.co.jp/honen2024-25

 

 浄土真宗の宗祖は言うまでもなく親鸞聖人でございますが、
その親鸞聖人にお念仏の教えを教えられた方が、
今回の特別展で取り上げられている浄土宗の宗祖 法然聖人でございます。

 つまり親鸞聖人は法然聖人のお弟子だったという事です。

 

 この展示展は浄土宗の成り立ちや教えが示された文化財が数多く展示されておるわけでございますが、
浄土真宗の教えを学ぶ上でも非常に勉強になる素晴らしい展示展だと私は思いました。

 

 中でも圧巻が香川の法然寺から出陣されたお釈迦様の涅槃像です。

※こちらの涅槃像だけ撮影が許可されています。

 

 

 この涅槃像の全長は約3メートル。
 ここまで立体的に表された涅槃像は他には無いそうです。
 

 

 そして何よりも私が一番注目したのが表情です。

 

 涅槃に入られたお釈迦様はよく見ると大変穏やかな表情をされています。
 その一方、周囲の弟子達は大変悲しそうな表情をされています。
 

 この表情の違いが、
 苦しみのない仏の世界と一切皆苦と言われている人間の世界の対比を表しているのではないかと私は考察しました。


 

 お釈迦様は人間の避けられない苦しみの一つで「愛別離苦」という苦しみを挙げられました。
 

 お釈迦様の死を悲しむ弟子達のように、私たち人間は大切な人や愛する人ともいつか必ずお別れをしなくてはなりません。
 お釈迦様の時代から、人間の苦しみは現在まで変わって無い部分が多いんだなと改めて思いました。

 

 この特別展は非常に勉強になりますので、皆様にも是非オススメです!
 

 ※現在は東京の国立博物館で展示されていますが、
 今年の10月8日〜12月1日まで京都国立博物館で展示されるそうです。
 

 名古屋にお住まいの方はそのタイミングで行かれた方が良いかもしれません。

 

 また次回もよろしくお願いします!

 

 善光寺 副住職

 

 おまけ①〜築地本願寺にもお参りしてきました〜

 

 浄土真宗本願寺派 西本願寺において東京で最も有名な築地本願寺に行ってきました。

築地本願寺では観光客の方も含めたくさんの方が参拝されていました。

 また、築地本願寺では定期的に法話が開催されています。
 私もお聴聞して参りました。

 

 若手布教師として大変有名な福岡智哉氏のご法話を聴聞して参りました。
 

 「信心正因 称名報恩」について学ばせて頂きました。

 大変わかりやすくとても勉強になりました。

 
 私が参加した回もYOUTUBEのアーカイブに残っておりましたので載せておきます。

 

 下の動画は私が参加した回の法話です。

27:55頃からお話が始まります!

 本当に素晴らしいお話でしたので、お時間のある方は是非ご視聴ください!

 オマケ②東京オススメの下町〜亀有に行ってきました〜

私が大学時代過ごした第二の故郷でもある葛飾区亀有に遊びに行ってきました!


写真は亀有駅前の両津勘吉像です。

特に何かがあるわけではございませんが人情味溢れる大変暖かい町です!

そしてもし亀有に行かれたら、亀有メンチというお店が非常にオススメです!

https://tabelog.com/tokyo/A1324/A132403/13118480

商店街にある小さなお店ですが人情味溢れる優しいお店です!

 メンチカツとハイボールが絶品です!
 特にチーズメンチカツが本当に美味しいです!

 ※冷凍販売もしているみたいなので興味のある方はオススメです!

 亀有に行くことが是非行ってみてください!

 

 また今後とも更新して参りますのでよろしくお願いします。

 善光寺 副住職

副住職ミニ法話① 蓮如上人から私達へのメッセージ〜仏法を学ぶ上で大切なこと〜

仏法を日々の生活に落とし込めているかどうか

 

 皆様お世話になっております。浄土真宗本願寺派善光寺副住職でございます。

 本日は善光寺門信徒の皆様、並びに一般の方に是非お伝えしたいお話がございます。
このお話は私たち僧侶はもちろん、一般の皆様におかれても浄土真宗を学ぶ上で大切な心構えになるはずです。

 浄土真宗第8代宗主、蓮如上人の言行録の『蓮如上人御一代記聞書』というものがあります。
 

 蓮如上人は浄土真宗の教えを広める事に大きく貢献されました。浄土真宗の教えを当時の人でもわかるようにできるだけわかりやすくまとめた「御文章」と呼ばれるお手紙を多く書かれました。
 その結果、浄土真宗の教えは多くの人に広がっていきました。
 その蓮如上人の記録が『蓮如上人御一代記聞書』です。

 

 その『蓮如上人御一代記聞書』に「聖教読みの聖教読まずあり」とあります。

 これはどういう意味か。それは、仏法を喜べないならお聖教をただ知識として読んでも意味がないという事です。

 つまり、仏法を知識として知っていても日々の生活に反映されていなければお聖教の真の意味を理解していることにならないという事です。
 

 例えば、仏法を知識として学んでいても、常にイライラしている人、暴言などで周囲を傷つける人、こういった人たちはお聖教を読んでない事に等しいと蓮如上人は仰ってます。

 その一方、「聖教読まずの聖教読み」という言葉も書かれております。
 つまりお聖教を読めなくても、仏法を聞いて喜ぶ事ができるものは、お聖教の真意を読みとっているといえるのです。
 自分自身の人生に仏法を落とし込めているかという事が問われているわけです。
 

 

 この具体例としてとても有名な話があります。
 江戸時代に讃岐(香川県)に庄松さんという方がいらっしゃいました。
 庄松さんは読み書きができなかったようです。
 それでも仏法を聴聞される日々を送られました。
 そんなある日、ある意地悪な人に大勢の前で「このお経をよんでみよ」と大無量寿経を手渡されました。
 文字を読むことのできない庄松さんは何と答えたか。
 なんと「庄松をたすける、庄松をたすける、と書いてある」と答えたそうです。
 お聖教を読むことができない、それでも仏法を喜び、自らの救いの確かさを喜んでおられました。
 

 この庄松さんの姿こそ、蓮如上人が仰られる「聖教読まずの聖教読み」です。

 

 この蓮如上人のメッセージは、浄土真宗の教えを学ぶ上で心に留めておくべきことだと思います。つまり重要なのは知識の多い少ないではございません。
 

 大切な事は、庄松さんのように仏法を自分自身の人生に落とし込む事ができているかという事です。それこそが仏道を歩むという事です。

 

 この姿勢は浄土真宗を学ぶ上で最も大切だと思います。正直、最近のSNSを見ていると、僧侶の中でも知識を振りかざし他人を攻撃する人が一定数います。仏法を巡って論争し、他者を攻撃する。それは、仏道を歩む上で本来のあるべき姿ではございません。
 

 たくさん知識があるということが大切ではありません。
 心に仏法が生きているかという事が大切です。


 

 私自身も日々仏法を学ぶ上で、気をつけなくてはならないと思いました。
知識を振りかざし偉そうな僧侶になるのではなく、門信徒の皆様と共に仏法を喜べる僧侶になりたいと改めて思う事です。

 そして皆様と共に、仏法を通して心豊かな人間に近づいていきたいと思う次第でございます。

 

 私たちが心豊かな人間に近づけるよう、庄松さんのように仏法を人生に落とし込む事を心がけ、これからも仏法を学んで参りましょう。
 

 下のイラストは左が庄松さんのような「聖教読まずの聖教読み」、右が「聖教読みの聖教読まず」の対比を表しています。
 皆様、仏法を学ぶときは常にこのイラストを見て、日々の生活に仏法を落とし込む事を心がけてください

 ↓写真は善光寺本堂にございます蓮如上人の像です。