「友引の日に葬儀は避けた方が良いでしょうか?」
このご相談をいただくことは以前からありましたが、今年の4月以降、特に増えております。
この背景には、八事斎場の改装工事があります。
名古屋市には本来「八事斎場」と「第二火葬場」の二つの火葬場がありますが、現在は八事斎場が工事のため閉鎖中です。
そのため現在、第二火葬場に負担が集中し、火葬場全体が大変混み合っています。
これは完全に私の予想ですが、
冬場など亡くなられる方が増える時期には、一週間程度の待ちが発生するのではないかと思います。
こうした状況の中で、火葬場の都合上、「友引の日でも葬儀を行わざるを得ない」という現実があります。
こうした背景があり、「友引の日に葬儀をしてもよいのか」というご質問が、改めて多く寄せられているのだと思います。
では、本当に友引の日に葬儀をしてはいけないのでしょうか?
六曜と仏教は関係がない
まず大切なことは、六曜(大安・仏滅・友引など)は、仏教とはまったく関係がない暦注であるということです。
六曜の起源は中国にあり、日本には江戸時代以降に広まりました。
仏教の経典や教えの中には「六曜」に関する記述は一切なく、浄土真宗をはじめとする仏教各宗派の立場から見ても、六曜は信仰の根拠にはなりません。
「友引=友を引く」の誤解
「友引の日に葬儀をすると、友をあの世へ引き込んでしまう」という言い伝えがあります。
しかし、これはあくまで俗信であり、根拠のない迷信です。
友引本来の意味は「勝負が引き分ける」という暦の吉凶判断にすぎず、「友を引く」といった死に関する意味合いは後世のこじつけです。
私、副住職の考え
浄土真宗の僧侶としての立場から申しますと、葬儀は「亡き方をご縁として仏さまの教えをいただく大切な場」です。
六曜に左右される必要はなく、ご家族の都合やご縁を優先して執り行うことが大切です。
しかし、私の個人的な意見としては、どうしても六曜を気にしてしまうのは人間の性です。
例えば、結婚式を挙げるなら大安にやりたい人が多いです。
好き好んで仏滅の日に結婚式を進んで挙げる人は基本的にいません。
人間というのは、そうした迷信をどうしても気にしてしまう生き物だと思います。
そして、浄土真宗の宗祖、親鸞聖人はそうした迷信に流されてしまう、私たち人間の弱さを以下の言葉を残して嘆いています。
「かなしきかなや道俗の良時吉日えらばしめ天神地祇をあがめつつト占祭祀つとめとす」
『正像末和讃』『真宗聖典』509頁
しかし、この言葉をよく読み解くと、「迷信に流されてはいけない、六曜を気にしてはいけない」とは一言も書かれていません。
そうではなく、そうした私たち人間の生まれ持った弱さを嘆いておられる言葉です。
実際に親鸞聖人は私たちの人間の弱さをよくわかっていたのではないでしょうか。
以上を踏まえて、私の結論はこうです。
「友引に葬儀をしてはいけないという仏教の教えはありません。しかし同時に、『六曜を気にしてはいけない』という教えもありません。親鸞聖人は、人が迷信を気にしてしまう弱さを受けとめてくださっています。ですから、どうしても気になる方は友引を避ければよいし、気になさらないのであれば友引に葬儀を行ってもまったく問題はありません。」
まとめ
友引の日に葬儀をしてはいけないという仏教上の理由はありません。
六曜は仏教とは関係ありません。
しかし同時に、人はどうしても迷信を気にしてしまう生き物です。
親鸞聖人もまた、その弱さをよく理解されていました。
ですから大切なのは、無理に「気にするな」と自分を押さえつけることではなく、
「どうしても気になる方は友引を避ける」
「気にされない方は友引に行っても差し支えない」
――その柔らかさで良いのだと思います。
葬儀は、六曜に左右されるものではなく、亡き方をご縁として仏さまの教えをいただく大切な場です。
迷信に振り回されすぎず、安心してご家族のご都合に合わせてご相談ください。
※もし「こんなテーマで取り上げてほしい」「この疑問について聞いてみたい」といったリクエストがありましたら、ぜひお気軽にお寄せください。
皆さまの声を参考にしながら、少しでも安心や学びにつながる記事をお届けしてまいります。
最後までお読み頂きありがとうございました。
また今後ともよろしくお願い致します。
善光寺 副住職
